【古雅楽館】 理科実験Ⅰ

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唐突ですが自分の中学時代をふと思い出す時がおありですか。若い方ならつい最近の出来事でしょうが、年寄りには遠い過去の残影を呼び起こすのは容易ではないかもしれない。しかし思春期に入ったばかりの甘酸っぱい出来事は、何歳になっても多かれ少なかれ記憶の片隅に残っているのではないだろか。「昔の事は忘れた」等というセリフはあくまでもドラマの世界、もしそんなことを言う方がいらっしゃるとすれば「人には言えない(恥かしい)出来事が沢山あって」思い出したくないというのが本音でしょう。
                                                                                      
振り返れば中学一年生はまだコドモで、小学生時代からがらりと変わった中学の勉学パターンに慣れるため日々無我夢中だったから、はっきりと覚えている事は何もない。三年生は団塊世代の受験戦争が始まり「進学組」は補習で、帰るのはいつも夜だったしテンコ盛りの宿題で遊びとは無縁だった。ノーノーと太平を謳歌(おうか)していたのは二年生時代で思い返してみれば勉強もロクにせず遊んでばかりいた。今と違って校内は立入り自由だったから、遊び場の根城(ねじろ)は中学校の校舎で天気に関係なく遊ぶ材料には事欠かなかった。                                                                                      
                                                                                                     
その時代、校舎は木造が大半で新築がやっと木造モルタルになり始めた頃、鉄筋コンクリートは戦前に建てられた一部の学校(それもわずか)しかなかった。中学校の間取りと言うか平面図は、今でもそっくり思いだし描くことが出来る。上から見ると「エ」型平屋の建物で真中が渡り廊下と保健室、下の一が一・二年室と音楽室、上の一で真中が正面玄関を挟んで校長室と教員室、図書室等がまとめてあって両端が二年室。三年室は別棟(べつむね)の二階建てバラックという配置であった。何しろ我々が三年生になった時だけでも一(ひと)教室に55名以上詰め込まれ、それが13クラスもあったのだからベビーブームの申し子とは言え、少子化の現在では及びもつかぬ教育環境であった。講堂(体育館)は無くて雨天時体育の授業は机や椅子を片付けて教室で行い、入学式等イベントは公民館あたりを借りたようにも思うが、その辺のメモリーはキレイに欠落している。

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【写真上】以前『化石』の時にも紹介した『ウミユリの化石』と顕微鏡。一段下がった右側には今回初登場の『ポラリメーター』。化石の前にある白いのは『ミネフジツボ』(食べた後の殻)。ポラリの下左はサンフランシスコのケーブルカー鋼索(古雅楽館『サンフランシスコ』参照)、右のホイールローダーはレズニー社『マッチボックス』シリーズで、れっきとしたメイド・イン・UKだ。

さて中学校に入ると体育系か文化系のクラブに入ることはMUSTであったが、その頃からヘソ曲がりだったので、上級生からあれこれ指示されるのがイヤなのと、体育は苦手だから文化系で一番人気のないクラブを選んだ。「理科実験部」である。親は入った理由が将来医者か科学者になるのだろうからと勝手に思い込んでいたらしいが、こちとらは上に記した通りで他に何の理由もない(と言えばウソになる。詳しくは文末参照)。3年間を通して部員は常に10名に満たないマイナーチームであったが、役に立ったのは「理科実験室」へ自由に出入りが出来るのと、備品や化学薬品を勝手に使えることだった。勿論劇薬保管庫は厳重に鍵がかかっていたが、その頃の一般民家では便器の汚れ落としに『塩酸』を使っていたほどだから、保管の程度も察しが付くだろう。『硫酸』や『苛性(かせい)ソーダ』は結構実験に使用したので、試したことがなかったのは『硝酸』位だったのではないか。思えばおおらかな時代であった。

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【写真上左】所有するアンティーク顕微鏡は大半が英国製だが、これはオーストリアの『C.ライヘルト』社のもの。ドイツ・オーストリア産はこのほか『ライツ』製が一台あり、いずれ紹介したい。【写真上右】まるで機関銃のような存在感抜群の『ポラリメーター』、『偏光計』と訳す。『偏光』を利用して『旋光性』をもつ物質の旋光度を測定する装置(なんのこっちゃ!?)。現在はデジタル化されたが昔はこんな大仰な装置を必要とした。

理科室は校舎平面図「エ」の字上一左側、図書室と自分達の教室の間にあったから放課後はすぐ隣へ直行、図書室も含め絶好のアジトとして終日入り浸っていた。先に書いた遊び場の根城と遊ぶ材料とはこのことである。実験器具や試薬の自由使用はクラブだから当然としても、実験そのものは中学の教科書に載っていないものばかりで、それを毎日のように行っていた。何せ隣が図書室なので科学参考書は幾らでもあったし、仲良しになった司書のお姉さんとは「なあなあ」の世界で本をちょい借りで持ち出し出来たから、火や劇薬を使う以外何でもやった。

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【写真上左】『デュヌイ表面張力試験機』。液体の表面張力を測定する装置であるが使い方は難しく、慣れと熟練を要する(らしい)。ジャンクなので部品のいくつかは欠落している。【写真上左】『短波長顕微鏡』。この形式の顕微鏡は10年程前の入手時から調べているが同じようなスタイルの写真が見つからず、恐らく『透過型蛍光顕微鏡』だと思うが未だに不明。台座の部分が変圧器でコードで繋がれた照射装置に高圧水銀灯をセットし『可視光線』より波長の短い近紫外線の『励起(れいき)光』を発生させるらしく、それが名前の由来ではないか。水銀灯が高温になるため対策として照射装置外部を蛇腹状の放熱フィンとし、その上に『暗視野コンデサー』を備える。顕微鏡手前の丸いメーターは大昔ホノルルのデパート、キッチン用品売り場で買った冷蔵庫用の温度計。今でも立派に機能するものの表示は『華氏』なのが最大の難点。

クラブ顧問の先生は当然のことながら何かやらかしていることを知っていたが、殆ど顔を見せず自由裁量に任せていたのは(多分)先生にもメリットがあったからだ。「キケンなこと以外何をしてもいいから、実験の内容と結果は必ずレポートを出せ」と厳命されていたので、土曜日の午後はまとめて文章作成というのがお定まりになった。作文の内容は簡単なメモ書きでなく、実験の目的から手順、成功・失敗どちらかでも原因の追究、実験過程での疑問点、結果から何が分ったかまで中二の分際(ぶんざい)で詳述(しょうじゅつ)しなければならなかった。それもノートではなく鉄筆を使ったガリ版原紙へである。レポートや論文を作成するのにPCが当たり前の若い方々には御存知ないだろうが、当時ガリ版は官公庁を含めありとあらゆる社会で重用された簡易印刷である。学校でも試験問題はガリ版刷りというのがフツーであったので、中学生徒でもためらいなくカリカリと図入りで毎回数枚書きあげていた。その御蔭(おかげ)で字体はすっかり「ガリ版字」になってしまい、それはこの歳になっても変わらぬクセになっている。

<この項 続く>

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1.中二の終わりになると学校から高校進学か否か希望を聞かれた。求人率が3倍を超える「金の卵」ともてはやされた「就職組」は卒業後間もなく、我々「進学組」や下級生に見送られて上京して行った。所謂(いわゆる)『集団就職』が最高潮に達していた時期である。

2.木造住宅の外壁材として嘗(かつ)て盛んに使用された建築材料。(砂利の入らない)セメントと砂だけを水と練り合わせて構造材に塗り込む。初期は工費(人件費)が安い、耐久性、耐火性のメリットが強調されたが、熟練を要し、工期(乾燥)が長いのとひび割れが入る等の欠点もあり、現在はむしろ塗り壁のバリエーションとして高級注文住宅に多く見られる。

3.化学式=HCl 劇薬ではあるが非常に有益な酸のひとつで工業用に多用される。小6から高校までの理科実験でも代表的な試薬のひとつ。便器の洗浄には10%位かそれ以上の『希塩酸』を生のまま使っていたが、アンモニアと反応して白煙が上がり、涙が出てしょうがなかった。白煙は『塩化アンモニウム』で前々回の古雅楽館【コスケンコルバ】に登場する『サルミアッキ』も参照されたし。なお、現在市販されているトイレ用洗剤も「酸性」タイプは塩酸が10%弱含まれているものがあるので取り扱いには注意を要する。

4.化学式=HSO 10%以上の「濃硫酸」は劇薬に指定されている。実験では亜鉛と反応させて簡単に水素を取り出すことができ、鉛蓄電池の電解液補充(希硫酸)もクラブの担当であった。

5.「水酸化ナトリウム」 化学式=NaOH  基礎工業薬品として重要なもののひとつ。強アルカリ性で工業排水の中和剤や洗浄剤として使われる他、家庭用では石鹸の原料として古い歴史を持つ。理科実験ではアルカリの試薬以外、葉の「葉脈(ようみゃく)」だけを取り出す水溶液として良く使用した。

6.極めて強力な酸の一つで「劇物」、消防法でも「危険物」扱い。爆薬やロケットエンジンの「推進剤」として重要。外国(特に英国)では科学肥料の窒素成分の原料「硝安(=硝酸アンモニウム)」として多用される(窒素肥料の60%以上を占める)。但し「硝安」自体が危険物であり、爆発物の材料になり得るのでテロリストによる安価な爆弾の原料として問題視されている。また最近注目されているT社製のエアバッグは、『インフレ―タ(膨張装置)』にそれまでの毒性の強い化合物に代わり「硝安」を使用、エアバッグを軽く小さくすることに成功し業界で急成長した。しかし「硝安」は湿気を含むと結晶が変化して不安定になる性質があり、『インフレ―タ』の生産管理が不徹底だと多湿な環境や水害、冠水を受けた車でエアバッグが誤作動し異常燃焼(暴発)する危険性を内包している。

7.孔版印刷の一種で別名『謄写版(とうしゃばん)』、エジソンが作った『ミメオグラフ』を参考にして手軽さと低コストを一番の目的に実用化された純国産品。発明したのは近江商人の堀井新治郎父子で1894年(明治27年)のことである。電源が不要なので印刷キットと用紙さえあればどこでも印刷できることから、瞬く間に全国へ広がった。現在の日本では趣味程度の需要しかないが、アフリカや中近東など電源事情の悪い国では今でも学校で多く使われ、全てがメイドインジャパンである。

8.印刷原紙のマス目一杯使ってゴシック体に通じる四角張った楷書(かいしょ)が特長、行書や草書とは対極をなす。

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【トップ写真】クレマチスの季節がやって来た。今回は早咲き大輪の『パテンス系』を紹介。【写真左】白花では昔から名高い『ミス・ベイツマン』。【写真右】駐車場から玄関へのアプローチ。左手の柵には『H.F.ヤング』とその八重バージョン『フェアリー・ブルー』。反対側右は『藤娘』。

 

 

 

 

 

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