【古雅楽館】タイ料理 Ⅰ

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やっぱりというか、前稿の『ストーンクラブ』にレスポンスがあった。「脳ミソ」料理ではありません、「エスニック調味料」についてである。これまでの古雅楽館には東南アジアに関する記事は一切書いていなかったので、皆様方には多分「欧米かぶれ」だと思われていた節がある。それは私も否定はしないが、ここに来て『エスニック』のコトバが出たことに意外と思われたらしい。

『エスニック』本来の意味は「民族特有の」、「民族的な」ということでワールドワイドに使われ、イタリアやスペインもその範疇(はんちゅう)に入れておかしくない。然し普通は東南アジアから中近東、アフリカにかけて、それと中南米あたりがイメージに合うし実際料理にしろファッションにしろ、そのエリアを指すのがまかり通っている。

私自身、海外旅行体験は最初からいきなりヨーロッパだった訳ではなく、香港を手始めにシンガポールやタイ・マレーシアへ添乗(其々一回ずつ)で行き、然るべく後にハワイ・米本土・ヨーロッパがメインになった。海外旅行商品企画担当となって受持ち地域はオセアニア・アメリカ・ヨーロッパと移ったが東南アジア・中国は全く縁が無かったため、添乗初期以降はタイを除いて一度もそちら方へ行ったことが無い。地域担当外の自分が何故タイを訪れる機会が多かったのか、改めて思い出してみると社員や代理店スタッフの研修旅行リーダーとして、或いは政府観光局&航空会社主催による新たな観光開発の視察旅行といった業務で行ったケースばかりで休暇を利用した個人旅行は未だにない。考えてみれば当時、企画以外に販促も兼務していたから担当地域以外への海外出張もあり得るのだが、タイだけ偏(かたよ)って自分にお鉢が回ってきたのは「タイ(料理)好き」が社内や上司に知れ渡っていたからかも知れない。従って、それなりの渡航回数をこなした結果、現地でゲットした東南アジア物では唯一、タイ産のヘンチクリンなグッズがリビングの一隅を占めることになった。・・・のではありますが、今回は話の成り行きとしてタイ料理との馴初(なれそ)めを書いてみたい。

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これから掲げる写真はネット通販のカタログみたいだが、テーマに合わせて調味料主体に絞った。【写真左】言わずと知れた『ナンプラー』、これナシではタイ料理を語れない。日本で手に入るブランドは10社近くに上るのではないだろうか。写真以外に「エビ印」、「青鮫(アオサメ)印」、「牡蠣(カキ)印」等がポピュラー。味や香りに微妙な違いがあるあたり、醤油と似ている(出目がそうだから当たり前だが)。【写真右】ココナツクリーム缶詰。他にココナツミルク缶詰もあり一般的だが、クリームの方がコクがあり私は専らコチラを愛用している。ゲーン・キャオ・ワンには欠かせない材料の一つ。

私が初めて「タイ料理」を口にしたのは新入社員として仙台の営業所に配属された年の秋、↑に記した初めてのタイ添乗の時である。それこそ40年以上も前のことだから「タイ料理」がどんなものか皆目見当がつかなかったし、巷間(こうかん)の情報はガイドブックで簡単に書かれている以外、無いに等しかった。旅行出発前に会社の先輩から「料理は不味くて食えたものではない。特に米ときたら・・・」と先入観を植え付けられたが、好奇心丸出しの駆け出し添乗員は見るもの・聞くもの皆珍しく、タイ米も言われた程不味くはないと思った。ただその頃から「同じタイ料理でもタイの人々が実際に食べる味付けは外国人観光客専門レストランのそれとは異なるだろう」位は分かっていた。味の違いを実際に体験したのは図らずもその時の添乗時で、この実体験がタイ料理にのめり込むきっかけになったことは間違いない。

ツアーは斡旋団体の招待旅行で100人以上の大所帯、添乗員は見習いの私を含めて3名。バンコク泊最終日は御多分に漏れずオプションのナイトツアーで集金やら参加人員確認やらで、てんてこ舞いだった。しかも添乗員諸先輩はお客様と一緒にバスで行ってしまい、一人残された自分は「現地旅行会社と精算した後、ホテルでも何処でもいいから勝手に飯食ってこい」と言い渡された。当時の添乗(教育)とはそんなものでかなりイイ加減ではあったが、振り返れば旅行中全く個人的な自由時間が取れなかった私へ先輩なりの配慮ではなかったかと思う。結局夕食は一緒に精算した現地旅行会社の在盤谷日本人スタッフと一緒に、ダウンタウンにある会社近くの屋台で食べた。何を食べたかは忘れてしまったが、全てが初物づくしの割には全然違和感が無かったことと、バミーに添えられたパクチーをお代わりした私に、スタッフがびっくりしていたことは覚えている。

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ここからコアな部類に入る。【写真左】小エビの塩辛をペースト状にした『ヵピ』。味や匂いにクセがあり好みが分かれそうだ。塩味と出汁に使う他、生野菜特にエシャレットにつけて食べると相性が良い。【写真右】パームシュガー。本来は『サトウヤシ』から採取して精製するが、サトウキビから取ったグラニュー糖がメインになった。料理やお菓子にはラベルに表示されている様にペースト状のココナツシュガーを用い、ゲーンの隠し味に使うとより本格的になる。

強烈に印象付けられたタイ料理だが、其の後は東南アジアとの関わりがぷっつりと途絶えてしまった。大体当時の仙台にエスニック料理店はなかったし、夜も「酒のお勉強」で国分町通いに忙しかったから、実際に作ってみたり専門レストランに通うようになるまではかなり長い時間がかかっしまった。復帰したのはそれから約10年後、東京へ転勤してからである。新しい仕事に慣れ旅行関連会社の方々とも知己(ちき)を得た頃、世界的なホテルチェーンの営業マンに誘われて、有楽町にあった『チェンマイ』へ連れて行かれたのがタイ料理との記念すべき再会だった。東京在住の外国人も通うほど有名だったこの店は会社から近いこともあり、それから暫(しばら)くはよく通った。それでも当時の東京ですら「タイ料理」は未だ市民権を得られておらず、「タイ料理レストラン」に行く事自体「物好き」というか奇異(きい)の目で見られたものだった。

やがて、社外のエスニック料理好き同士でちょっとしたサークルを組織し、持ち回りで各自が新しい店を開拓するというゲームまがいのことを始めた。丁度バブルが始まる前、エスニックレストランが爆発的に広まる頃で、千葉から横浜方面まで足を延ばして新規開拓をし、面白おかしく歓談しながら料理を楽しんだものだった。大崎にあった『ペチャラット』もそんな中で紹介された店である。大抵のエスニックレストランが日本人向けにかなりアレンジした味付け、悪く言えば商売優先の「エスニック風」料理であるのに対し、『ペチャラット』はあくまでも本国からそっくり持ち込んできた「タイ家庭料理」がウリであった。安易に迎合(げいごう)せず香辛料(特に唐辛子)を調節しないストレートパンチのような破壊力のある激辛パワーには本物だけが持つ説得力があり、「これから食うぞ」と根性を据()えてかからなければKOされて途中棄権してしまうほどの鮮烈な体験だった。奥さんは確かイサーン出身ではなかったかと思う。従って一般的なタイ料理メニューであっても、中味はもろイサーン料理特有の味付けなので人により好き嫌いがはっきりしていたというか、「店が客を選ぶ」そんな感じだった。現在なら多少引くかもしれないが、当時の私にはこういった格闘技は「よろこんで」だったから、常連になるのにそんなに時間はかからなかった。

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【写真左】シュリンプペーストの『マンクン』。炒め物以外トムヤム(スープ)のコクを出すのに使う。「クン」はトムヤムクンを出すまでもなく「エビ」の意。【写真右】トムヤムペースト。東京在住時はレモングラス等材料を叩き潰して自作もしたが、原材料入手難と時間的制約もあって愛用品のひとつ。これをベースに、ここで載(の)せた調味料を加えてオリジナリティを出すのが何とも楽しい。

サークル自体はそれから数年後メンバーの退職や転勤などで自然消滅してしまったが、私のエスニック料理追及癖は衰えるどころか調味料や食材を買い揃える10までになり、参考書片手に自作を始めるようになった。この時期になるとエスニックレストランは雨後の筍(たけのこ)の如く乱立し、最早珍しくも何とも無くなってしまって、わざわざ食べに行くまでもなかったから、せっせとレパートリー作りに勤しんだ。ただ一ヵ所、大久保百人町にある「屋台村」だけは一人でもよく足を運んだ。当時「屋台村」はブームで目黒など都内あちこちにあったが、通ったのはここだけである。

「いかにも」といった感じの外観と入口には東南アジア系の新聞や雑誌、CD等も売っていて気分は正にエスニック。安普請(やすぶしん)の館内はショッピングセンター、例えば「ザ・モール長町」の「フードコート」と同じで壁面に沿って各国料理店のカウンターがあり、テーブルが中央部に雑然と並んでいる。意表を突かれるのは各店の呼び込み屋兼ウエイターorウエイトレス(しかも日本に出稼ぎに来ている各国のネイティブ!)が席に着くやいなや猛然とダッシュしてきて客の奪い合いを始めること。初めて、または貴方任せのメニューをオーダーする客はそれだけで完全に向こうのペースに嵌()まること必定(ひつじょう)で、ついつい余計な物まで注文してしまう。私も最初こそメニュー攻撃に晒(さら)されたが、タイ料理目当てに来るのが分かるにつれスルーされて、通りすがりに「オキャクサン、タマニハウチノリョウリタベテヨ」と顔馴染(かおなじみ)になったスタッフに軽口をたたかれる程の常連に収まった。一人で来たときは料理が出てくるまで『メコン11』を飲りながら、各テーブルで繰り広げられる恒例の店員と客とのバトルや、ケバい衣装の大久保ファッションで身を包んだ東南アジア系のオネエサンが『クイティアオ12』をさらっと食べて御出勤なさるのを眺めるのも楽しみのひとつだった。

ここが気に入った理由はただでさえディープな大久保の路地奥という怪しげな立地、↑で書いたが入った途端(とたん)に別世界に来たという現実とのギャップ、それとタイレストラン『チャオトゥーン』の料理と奥さんの人柄にあった。メニューを見ても奇をてらったものはなくオーソドックスな物ばかりで、今一つあか抜けない盛り付けだが極めて真っ当な直球勝負、関連性はないが個人的に『ペチャラット』の流れを汲()む調理だと思った。『チャオトゥーン』に行き始めて間もなく「ヘンな客がいる」と店員から聞いたのかどうか知らないが、調理の合間にテーブルへ顔を出したタイ人の奥さんに感想を話すとすごく喜んでくれて、それからは店に行くたびに親しく話しかけてくれるようになった。食材や調味料の使いこなし、調理法の裏ワザ等もいろいろ教えて戴き、如何に現地の味に近づけるかという(勝手に自分へ言い聞かせている)課題を少しはクリアー出来て今でも感謝の念に耐えない。

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【写真】『メープロイ(=おっかさん)』印のゲーンペースト。これの御蔭で随分助かる。調味料を加減してオリジナリティを発揮するのはトムヤムと同じ。左はゲーン・ペッ(レッドカレー)で右のゲーン・キャオ・ワンより辛目、レシピの違いはいずれ本欄で。

 何時か機会があれば再訪したいレストランばかりだったが皆閉店してしまい、残念ながらその望みは潰(つい)えてしまった。 閉店の理由は色々だが共通しているのはオーナーまたは料理人の奥さんがお亡くなりになったこと。『ペチャラット』は奥さんが病気で亡くなり、妹さんがわざわざタイからやって来て後を引き継いだが、大崎駅前の都市再開発で客の流れが変わってしまい店を畳んでしまったし、『チャオトゥーン』も折角仲良しになった奥さんがやはり病気で亡くなり、代わりの料理人を雇って店は存続したものの肝心の「屋台村」自体が「ジ・エンド」になってしまった。後で知ったのだがいずれも閉店したのは私が仙台に帰って来た前後で、恰(あたか)も時を同じくして東京の食舞台から去って行ったとしか思えず、哀惜(あいせき)の念を覚えずにはおられない。

タイ料理は現在でも進化の途上にある。「フレンチ」、「イタリアン」、「シノワーズ」、「ワショク」等、国際化に伴う外国料理の影響も大きい13。一般家庭でも手軽にタイ料理が食べられる14となると、プロの世界は勢い創意と工夫がモノを言う。ソースは複雑且つ深淵(しんえん)化し、タイ調味料オンリーでは飽きられる時代になった。仮に上記の店が今あるとしても、従来の調理方法だけで存続するのは難しかったのではないだろうか。そう考えるとタイ料理を一般に普及させた役目を果たし、一時代の終わりとして身を引いたと受け取るべきかもしれない。それでも私にとってタイ料理を語るとき、懐(なつ)かしくも哀愁(あいしゅう)を帯びた想い出は、これからも一粒の『ペチャラット(=ダイヤモンド)』のように輝き続けるだろうし、店は無くなっても会得(えとく)させてもらった料理は今やマイメニューの一つになり、併せてタイという国の歴史や文化を理解する一助になっている。

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1.ジャポニカ米とインディカ米の違いは皆さん知っていらっしゃると思うが、ご飯の炊き方が違うというのは今もって理解されていないようだ。年配の方なら記憶しているであろう1993年「平成の米騒動」時には大量のタイ米が緊急輸入されたが、広報が疎かにされたため殆どの日本人が炊飯の方法が異なることを知らず、「ぱさぱさして粘り気が無い」、「特有の匂いがする」など不評が相次ぎ、 「タイ米は不味い」という誤解が根付く残念な結果に終わっている。「タイ米」の炊飯は『湯取り法』というやり方で、大量のお湯で米をほんの少し芯が残る状態まで茹で(つまり『アルデンテ』)、お湯を捨てたら弱火で蒸す。当時の私はもう一人暮らしだったから、むしろ喜んで毎日この方法でタイ米を食べていたが、カミさんに炊き方を教えても「不味い」の一言で全く聞く耳を持たなかった。

2.バンコクの漢字表記。なおバンコクの正式名称をきちんと言える人はタイに行ったらものすごく尊敬される。余りにも長いので省略するが、正式名の最初ににある『クルンテープ』は現地で「バンコク」よりも普通に使われる。意味は「天使の都」で「ロサンゼルス」と同じだ。

3.細めの中華麺で小麦粉を原料とする麺はひとくくりでこう呼ばれる 。これに対し米を原料とする麺『クイティアオ』は、ロングパスタのように太さによってサブネームがつく。

4.生のコリアンダーで、八百屋や市場に並ばない割には知名度が高い代表例。中国語では『香菜(シャンツァイ)』といい、これもよく知られた呼び名である。葉や茎は言うに及ばず根もペーストにして頻繁(ひんぱん)に使うので捨てるところが無い。エスニック(タイ)料理には必需品のハーブであるが、知られていながら今もって日本国内に普及しないのは特有の香気であろう。私は大好きだが、パクチーのせいでエスニック(タイ)料理が好きになれないという人は結構いらっしゃるようだ。

5.日本最古のタイ料理レストランとして1970年代にオープン、当初は店名から想像できるように北部タイの「カントーク・ディナー」風メニューだったらしいが(最初に行った時がそうだった)、その内一般的なタイ料理になり90年代後半、近所の地下へ移転。名の知れた店にしては店員のサービスが大雑把で、オーダーを忘れたり、勘定が違っていたり、かなりアバウトで今なら通用しそうもない顧客対応が御愛嬌ごあいきょう)だった。オープンしてしばらくは食材の入手が困難で、ナンプラーの代わりに『しょっつる』を使っていたというウワサを聞いたことがある。

6.サークルのオキテは、料理が外れでも決して「店内では料理の悪口を言わないこと、料理評論家の様な知ったかぶりの批評は口にしないこと」だった。

7.名前の由来は文末参照。

8.古代国家の王都『イシャーナプラ』、サンスクリット語で「東北」を語源とする。正式名は「パーク・タワンオーク・チェンタイ」。土地は痩()せて農業に適さず、貧しい暮らしから出稼ぎに出る者が多かったのと、住民は北部はラオ族、南部はクメール、東部はベトナム系でタイ族と異なるため、異民族と見做(みな)され差別視 される時代が続いた。イサーンを含む貧困者層対策に初めて立ち上がったのが元首相のタクシン氏で、「不正疑惑」クーデターで亡命後もタクシン派政党は救済を受けた人口の半分以上を占める農民や低所得者層からの支持が今でも多い。総選挙を行っても勝ち目がない反政府派(民主党)はデモによって現政権打倒を行い、「議会制民主主義」を放棄し一党独裁の「人民評議会」設置を要求して過激化の一途を辿(たど)っているのが現在のタイ政情不安だ。

9.イサーン料理の特徴はその辛さ、プリッキーヌーという小さな極辛の唐辛子を大量に使う。調味料もナンプラーよりは、鮒(ふな)等の淡水魚を糠漬けして出来る溜り醤油『パー・デーク(一般にはプラー・ラーの方が通りが良い)』主体で砂糖は殆ど使わない。それと辛さを和らげるためか必ず生野菜が付いてくる。よく知られている『ソムタム』も発祥はラオスからイサーンにかけて食べられるサラダで、『タムバックフン』が本来の名称。地元では小蟹を塩漬けにして発酵させた『ナムプー』を蟹と共に食すが、生蟹は『ジストマ(肺吸虫症感染の寄生虫)』がいる可能性大なのでかなりヤバイ。イサーン料理についてはいずれ項を改めて書くつもりです。

10.初めは錦糸町や大久保、中野等を徘徊(はいかい)したが、最終的に前回書いた上野アメ横に落ち着いた。仙台に戻ってからはネット通販も利用している。

11.タイや日本では『メコンウィスキー』で通っているが実際は米焼酎の仲間で35°あり、飲み方はソーダ割りが普通。タイを代表する銘柄で2年程前生産が途絶えるという噂が飛び交い、事実タイ国内で流通し無くなった(らしい)。その後ラベルを変えて再登場したものの、値段が高くなった。旧ボトルは現在もネットオークションに度々登場し、初値は当時と変わらないか多少安い。但し数年経過しているので品質はどうなのだろうか。「タイウィスキー」は他に『サンソム』、『ブラックキャット』、『リージェンシー』等があり、一部は国内でも手に入る。 

 12.注3も参照。日本で食べらるのは細い乾麺で『クイティアオ・センレック』という。大抵は汁(ナーム)そば風でスープは薄味。客はテーブルにある「ナンプラー」、「砂糖」、「粉唐辛子」、「生唐辛子の酢漬」を好みの量だけ入れて食べる。手際よく入れて混ぜる動作を見ただけで客のタイ度が判明するという、ある意味コワイ食べ物。

13.例えば『グリーンカレー・スパゲッティ(ゲーン・キャオ・ワン・スパ)』や『ゲーン・キャオ・ワン・ピザ』は瞬(またた)く間にポピュラーになり、日本国内のタイレストランでも定番になりつつある。

14.一般でいうところのグリーンカレーやレッドカレーはレトルト食品としてスーパーでも簡単に手に入る。

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 【トップ写真】昨年10月、タイ国際航空仙台↔バンコク線の就航を祝って「タイフェスティバル」が「たびのレシピ」横の広場で開催された。屋台を出していたのは仙台のタイ料理店で写真はその一部。今年はデモの影響で4月以降のダイヤが混沌としている中、第二回は開かれるのだろうか。

 

 

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