ふるえるほど好き

何年か前、大エルミタージュ美術館展(今年もやってましたが)の開催に寄せて

イラストレーターのMAYA MAXXがアンリ・マティスの「金魚」を挙げて

「ふるえるほど好き」という記事を書いてました。

マティスもいいけど(個人的にはボナールが良かったです)

当時、コラムニストの真似事のようなことをしていた私は

「ふるえるほど好き」という表現に衝撃を受けてました。

早速蛇足になりますが、

学生のころ私は有志よる美術評論誌を学内で発行してました。

五臓六腑で感じ取ったものを如何にテキストとして抽出するか、

このすべてに学生生活を懸けていたわけですが、

無論、被批評側としては私のようなのは目の上のたんこぶなわけで、

常に対立関係にありました。

ある同級生の個展に出向いたとき、

プロローグとして

「大切なひとにこの夕日をみせるとき、そこに言葉が必要であるはずがない」

という言葉を置いてました。

そのような気もするし、ガンとして言葉にしたい気もするし。普段あまりないジレンマにかられたのを覚えてます。

今は、きっと「ふるえるほど好き」って言ってしまえばいいんだろーなと思ってます。

人が何かを好きになる過程っておもしろいと思います。

電撃的に好きなったもの

愛着が積み重なって好きになったもの

大きく分けてこの2パターンだと思いますが

私にとって、平面の美術作品・映画・香水は前者

街・人・立体の美術作品・音楽は後者になります。

精神学上、「あかちゃん」をかわいいと思えるのは

彼らがアタッチメント(愛着)を持っているせいにしか過ぎない、とのこと。

“せい”だなんて。アタッチメントこそが万物共通認識の才能でしょうに。

対象の内側から、外側からその可能性は潜んでいます。

山形にある東北芸術工科大学にひさびざ、ひさびさにきました。

数年前に落とされ(入学試験に)ましたが、なんども立ち寄ってしまう。

もうきっと、好きすぎる場所

東北芸術工科大学

駐車場から汗を流して三角屋根のキャンパスを目指す、

たどり着いたときに正面一面にはられた水面、

振り返ればむせ返りそうになる緑

水面越しみる街並み

どれもが、ひとつづつ夢中にさせている。

私の、ふるえるほど好きな風景

どうぞ皆さま、一度足を運んでみて下さい

東北芸術工科大学ホームページ

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