【古雅楽館】ベアキャット

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題材とテーマに賛否両論があるにしろ、映画『永遠の0』により『零式艦上戦闘機』、いわゆる『ゼロ戦』が一般に改めて評価されるようになったのはヒコーキマニアとして御同慶の至りである。『ゼロ戦』については既に語りつくされた感があるので、ここでは述べない。然しカウンターパートたる米国海軍の艦上戦闘機となると、御存知の方はどれほどいらっしゃるだろうか。仮に『グラマン』の名前だけでも知っているとしたら大したものである。『グラマン』は第二次世界大戦中敵機の代名詞になった位有名な航空機メーカーで、戦時中の日本人なら女子供でも知っていた。大戦初期の戦闘機はF4F『ワイルドキャット』といい『ゼロ戦』に苦汁を飲まされたが、後期に現れたF6F『ヘルキャット』は性能・物量共に『ゼロ戦』を圧倒した。F6Fを更に極限まで洗練させた対(日本軍)戦闘機専用機がF8F『ベアキャット』である。米国航空機工業の底力を発揮して高性能新鋭機を短期間の開発で実用化したが、最初の量産機を搭載した機動部隊が日本へ向かっている途中に終戦となり、既での事(すんでのこと)で実戦に間に合わなかった。

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【写真】二枚共に、宮城県沿岸空襲二週間ほど前に太平洋上で撮影された英空母『フォーミダブル』飛行甲板上の光景。【左】手前は『チャンスボート・コルセア』戦闘爆撃機の胴体後部で米軍に似た太平洋戦線用英国籍マークを描いた。後方は『グラマン・ヘルキャット』戦闘機。【右】別のシーン。手前から後方にかけては『グラマン・アベンジャー』攻撃機、右後方に『ヘルキャット』と『コルセア』が見える。詳しくは注2参照。

 F8Fはレシプロエンジンとして、アメリカ陸軍航空隊(後の空軍)のP-51H『マスタング』と並ぶ究極の実用戦闘機であったが、戦後急速に発達したジェットエンジン化の波は艦上機にも及び、わずかな就役期間を経てリタイアしてしてしまう。これは「制空戦闘機」として余りにも性能を特化させた結果、肝心の相手が居なくなってしまい、他に融通が利かなくなったためで、単能機の悲しい宿命であった。第二次世界大戦前から開発が始まり、一時は空母には適さない「欠陥機」の烙印(らくいん)を押されたF4U『コルセア』が大成して、戦後も「戦闘爆撃機」として生産が継続されたのとは対照的である。

早々に退役した機体はフランスとタイへ供与され、フランス空軍機はインドシナ戦争の転機となった『デンビエンフーの戦い』にも参加している。だが、やはり「航続距離が短い」、「汎用性(はんようせい)に欠ける」ことが災いして評判は芳しいものではなかった。艦上機特有の降着装置と十分な整備を前提とした機体は、想定とは全く違う悪条件下で事故が多発したことも原因の一つであった。

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【写真】本文に記した航空情報掲載『スミノフ』でないのが残念だが、渡辺利久氏描く本来の『ベアキャット』側面図。Rh Value Publishing社刊行、第二次大戦機シリーズ『ヘルキャット』篇の折込で、本のサイズが大きいため迫力がある。因みにこのシリーズは各国の著名機が全て氏のテクニカルイラストレーションによって再現され、既に絶版ながら30年経った今でも航空洋書市場では例外的に人気が高い。

優秀な素質を持ちながら万全な性能を発揮することなく終わってしまった『ベアキャット』は中古機として民間にも払下げられたが、ここで思わぬ復活を遂げる。小型軽量の機体に大馬力エンジンを装備した(潜在)能力はエアレーサーにおあつらえ向きであったのだ。エアレースというと日本で報道される機会はまずないが、海外特に米国では盛んに行われており、クルマのF1レースに似たワールドドツアー『レッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップ』も開催されている。この『レッドブル』と米国最古の歴史を誇る『リノ・エアレース』にそれぞれ日本人が参加しているのを知っているとしたら、余程のマニアであろう

エアレーサーとして『ベアキャット』が参加しているのは『リノ・エアレース11』の方で、米国のみならず世界で最も有名な航空イベントの一つだ。文字通り「全米選手権」とでもいうべきエアスポーツの代表で人気の高さはダントツ、日本からも毎年観戦ツアーが組まれているくらいである。『リノ・エアレース』は1964年からリノ近郊の飛行場で毎年9月開催され、この50年間で中止になったのはタイミングを合わせるかのように起きた2001年9月同時多発テロの一回だけで、この時はアメリカ国内すべての民間航空機が地上待機を命ぜられた。

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【写真左】『リノ・エアレース』複葉機クラスのチェーシング。左に見える数か所のパイロンを周回するが、操縦席からの視界が狭いため、かなりのテクニックを要する。【写真右】『アンリミテッド』クラスの発進光景。機体はF8F『レア・ベア』で最新の塗装、同機については本文末にコメントしている。(いずれも米国のマニアによるリノ・エアレース観戦記投稿写真から)

イベントも年を追う毎に規模が大きくなり、今では5日間に6つのカテゴリーに分かれた競技が行われる12。開催期間中はメインのエアレース以外に日替わりで第二次大戦機や最新ジエット機のフライトディスプレー等も行われ飽きることが無い。エアレースのカテゴリー別対決で最も豪快で迫力があり且つスリル満点なのが『無差別級(アンリミテッド・クラス)』だ。 レース自体の規則さえ遵守すれば機体自体は重量4,500ポンド13以上の「レシプロ機」であること以外、改造しても何等制約が無いという如何にもアメリカらしい競技で、カスタムプレーンのコンセプトも往年のカーレース『CANAM』で常連だった『シャパラル14』を彷彿(ほうふつ)させる。レース自体は一回ぽっきりではなく、『アンリミテッド』を例にとると開催前半に資格検査を兼ねたショートトライアルがあり、ラップスピード順に「ブロンズ」・「シルバー」・「ゴールド」のクラスにカテゴライズされる。木曜から3回の本戦が行われ日毎にトップ機種が上位ランクに繰り上がり、リタイアした機は逆に繰り下がるといった番付を経て各クラスの決勝が最終日に実施される。中でも「ゴールド」は『アンリミテッド』のトップクラス、文字通りの最高峰で優勝機のスピードは時速800km以上15という物凄さだ。

 参加機は第二次世界大戦の傑作戦闘機として誉れ高く、大量生産されたことから部品の入手が容易な『マスタング』が大半だが、『ベアキャット』と『シーフューリー16』等が少数ながら加わっている。特に『ベアキャット』の韋駄天(いだてん)ぶりは時に『マスタング』を凌(しの)ぐほどで、その中に『リノ・エアレース』が初めて開催された1964年からしばらくは連戦連勝という華々しい結果と速度公認記録を打ち出した伝説の機体がある。 愛称はスポンサーの名前を取って『スミノフ』、後に『コンクェスト・ワン』と改称され、1969年にはレシプロ機として世界スピード記録に挑戦、最高時速483マイル17を叩き出し見事30年振りに更新した。操縦していたのはエアレース界きっての名物男ダリル・グリーネマイヤーで、後に部品を寄せ集めて作り上げた自家製『F-10418』で低高度スピード世界新に挑み、公認記録を更新している19がこれはまた別の話だ。

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【写真上左】グリーネマイヤーサイン入り、『スミノフ』の勇姿。新たに取り付けられたプロペラスピンナー、極端に小型化されたキャノピー(風防)など、折込側面図のオリジナルと比較されたい。【写真上右】グリーネマイヤーが操縦桿(そうじゅうかん)を握る世界記録挑戦中の自家製F-104、愛称『レッドバロン』。飛行高度は僅か15mというから常人には及びもつかないスゴ技だ。

当時学生だった私は『スミノフ』をこの時初めて知った。愛読していた航空雑誌『航空情報』に渡辺利久氏が描いたエアブラシ超絶技法による折込側面図が掲載され、度肝を抜いたことを思い出す。ミッドナイトブルーの海軍標準塗装しか知らなかった自分にとって、白を基調にブルーの矢印をフューチャーした垢抜けしたデザインとレーサーとして極端に改造されたプロフィールは凄く新鮮な印象で、本物が見られなければいつかプラモデルを改造して作ってみたいと思わせるのに十分なスタイルだった。それから数十年、今もってモノにはしていないけれども、実機には思いがけず一度出会ったことがある。BC7   

【写真】愛称を『コンクェスト・ワン』に改めた直後で、↓後期の派手な塗装に較べるといささか地味だが、反って迫力が強調されている。

以前航空関係の視察旅行でワシントンD.C.に行った時、途中でスミソニアンの『国立航空宇宙博物館(NASM)20』を見学した。このツアーは航空機に関する以外観光は一切ナシというヒコーキマニアには夢のような日程だったが、あまりにも中味が濃すぎるのでここでは省略する。で、『ベアキャット』だが同博物館の「民間航空機部門」に展示されており、1977年にグリーネマイヤー本人から寄贈された。NASMは何しろモノが多すぎるため、『ライトフライヤー21』から『アポロ宇宙船』まで限られた時間に一通り見るにはとても無理。事前に特定の機体をピックアップしたもののいざ現場に行って憧れのヒコーキ実物とご対面すると、のぼせ上がって時が経つのも忘れてしまい結局『ベアキャット』との初顔合わせは一番最後、集合時間直前ぎりぎりの5分間位だった。なので『コンクェスト・ワン』が元『スミノフ』だったのを知ったのは、恥ずかしながら帰国後しばらくしてからである。「臍を嚙む(ほぞをかむ)」とはこの様な時に使うコトバであろう。それ以来またいつか再会を果たしたいと夢見ているが、これまた実現の見通しはない。

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【写真】文中にあるように『コンクェスト・ワン』は現在スミソニアン『国立航空宇宙博物館』に展示されていて、間近に見ることが可能だ。

ところで左党の方には改めて述べるまでもないが、『スミノフ』はロシア生まれのアメリカ、ウオッカブランドである。アメリカ産と書かないのは現在生産地が多国籍に渡っており、親会社が英国のディアジオ社という複雑な関係があるからだ。但し『リノ・エアレース』チャンピオン時代は正真正銘、アメリカのウオッカメーカーであった。日本では現在キリンビールが販売権を持っており、「キリン・ディアジオ株式会社」を設立して積極的にセールスプロモーションを展開している。金子ノブアキが出演しているTVCMをご覧になった方も多いと思う。『スミノフアイス』はRTDブランド世界市場ナンバーワン22とされるが、私自身低アルコール飲料は苦手なので飲んだことはない。本来のウオッカとしてなら、かなり昔『スミノフ・ド・ツァー23』を銀座のショットバーで飲んだことがあるけれど、これこそ「至高」の酒だと感激した記憶がある。

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【写真左】『スミノフ・ド・ツァー』のボトル。空き瓶ですらネットオークションにかけられ、初値が1万5千円からという偉大なウオッカだ。仙台のバーでボトルが残っている店は一体何軒あるだろうか。世界のどこかで幸か不幸かこのボトルにお目にかかったら、たとえワンショットでもオーダーすることは薦められない。ボトルが本物でも中身がそうだとは言い切れないし、何よりも飲んだ後のチャージは幾らになるのやら・・・。(e-bayオークション情報から転載)【写真右】『コンクェスト・ワン』の後継機である『レア・ベア』(プロモーションビデオの宣伝写真から)。エンジンやプロペラは他から転用しているが、機体の製造時期は『スミノフ』と同じく第二次世界大戦直後だから、パイロットより年上ということになる。この様な古典機をフライアブルにもって行くには、多大のコストや修復技術を要するが、資金調達も含めて彼等がレストアに傾ける情熱はハンパじゃない。

ソチラになると、また駄文が長くなるので項を改めて書くことにしたい。とまれエアレーサーとしての『ベアキャット』は年を追う毎に進化し、『コンクェスト・ワン』引退後は別機と言っていい程カスタマイズされた『ベアキャット レア・ベア』が王者として君臨、改めて世界記録を塗り替えた24。先に『アンリミテッド』トップスピードが『コンクェスト・ワン』を凌ぐ時速800km以上と記したが、この機体もその一つである。

レシプロ機最後の光芒(こうぼう)として『ベアキャット』や『マスタング』達が、自分の子供の様な年齢のパイロットを載せてこれからもエアレースの世界で活躍を続け、いつの日か『リノ・エアレース』観戦が叶う時までまだ飛んでいて欲しい。NASM再訪と併せて見果てぬ夢のひとつである。

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1.トム・クルーズを一躍トップスターに伸し上げた1986年の航空アクション映画、『トップガン』で一方の主役を務めた『F-14』もグラマン製。

2.私が幼い頃、(既に亡くなったが)父方のジイさんは終戦間際の1945年8月10日に石巻が空襲を受けた時、「(北上川)中瀬の造船所や石巻駅を真っ黒いグラマンに機銃掃射(そうしゃ)された」と語っていた。補足すると9・10両日、矢本の海軍松島飛行場(現航空自衛隊松島基地)等、宮城県沿岸を襲ったのは主に英国海軍機で、米国から供与された『ヘルキャット』と『コルセア』の混成であった(他にグラマン『アベンジャー攻撃機』も参加)。塗装はそのまま米海軍機の『ミッドナイトブルー』という、かなり濃い紺色の塗装だったから遠目には黒く見えたのだろう(『ベアキャット』の折込側面図を参照されたい)。

3.日本海軍ほど几帳面ではないにしろ、米海軍は機体の愛称基準をメーカーごとに決めていた。グラマン製の戦闘機は猫科の名前で、『ワイルドキャット』は山猫又は野良猫(意地悪女の意味もある)、『ヘルキャット』は直訳すると地獄の猫だが性悪女、『ベアキャット』は文字通り熊猫で本名『ビントロング』といい、実在する猫科の動物だが北米にはいない。↑F-14の愛称も『トムキャット(雄猫)』という。

4.開発をスタートさせたのが1943年11月で翌年8月に試作機が初飛行、量産機ロールアウト(工場から完成機が出ること)は45年2月という早業であった。

5.傑作機として名高い『マスタング』は通常D型をいい、欧州戦線で大活躍した。太平洋戦線では硫黄島陥落後配備され、1945年春関東に姿を現したが対日戦用に更に機体軽量化、エンジン出力アップを図ったのがH型である。これも555機生産された後『ベアキャット』と同じく終戦により残りはオールキャンセルされた。

6.1946年から1954年にかけてベトナム民主共和国とその独立を阻止しようとしたフランス間で起きた戦争。

7.インドシナ戦争の天王山と言われ、1954年3~5月の戦いで双方の戦傷・戦死者は 3万人を超え、フランス軍は1万人以上が捕虜となり敗北、講和の引き金となった。

8.エナジードリンクとして世界一位のシェアと売り上げを誇る「レッドブル」がスポーツスポンサーとして活動を行っているイベントのひとつ。2003年から開催され、途中何回かの中止があったものの2014年度は開催中(計8戦)。競技用専用機で極めて難度の高いコースを飛行規則に従って操縦し、且つスピードを争う苛酷なレースで、総観客動員数100万人以上の人気を誇る。

9.「レッドブル」には室屋義秀(奈良県出身41歳)が唯一アジアのパイロットとして3年前に参戦、先月13日クロアチアのロヴィニで開催された本年度第2戦で 初の表彰台3位に輝いた。「リノ」では沖縄出身のトニー・ヒガ(Tony Higa)こと比嘉実。若くして渡米、航空整備士の傍ら18年かけて競技機を自作(!)し2003年に完成、エアレースに参戦している56歳の苦労人にしてドリカム10を地で行ったタフガイだ。

10.a dream come true : かなえられた長年の夢

11.ネバダ州北西部人口約20万人の観光都市。ラスベガスと並ぶカジノシティだが、日本ではむしろエアレースで有名になった。

12.↑9の比嘉さんが参加しているのは複葉機クラスで、愛機は「ピッツスペシャル」の『Tango-Tango』。3.18マイルの周回コースで常に上位に食い込んでいる。なお、一般に公開される「開催期日は」水曜日からであるが、参加資格審査も含めタイプトライアル等予選はその前から行われる。

13.約2,041kg

14.嘗て20年間に渡りカナダとアメリカのロードサーキットを使用したレーシングカー選手権、正式名称Canadian-American Challenge Cup、略称Can-Am。F-1やルマンのようながんじがらめの規則はなく、排気量2,500cc以上であれば無制限で技術的な制約もなしというマシンの豪快なレースが人気を集めた。レースで活躍した『シャパラル』は極めてアグレッシヴ・エキセントリックなデザインで、その後のF-1等レーシングカー設計に大きな影響を与えた。『シャパラル』のレース結果はこの時期、自動車雑誌『CG』が特約レポーターの写真入り記事で他誌よりも詳細に解説されていたので毎号愛読していた。ケッタイなスタイルではあるけれど今でも私の最も好きなレーシングカーブランド(デザイン)である。

15.後期の『ゼロ戦五二型』が時速約565km、『ベアキャット』オリジナル(軍用型)で678km。仙台空港へ飛来するANAウイングスの『ボンバルディアQ400』最大巡航速度が667km。

16.英国ホーカー社製最後のレシプロ戦闘機で、空軍用『フューリー』が対独戦勝利を契機にキャンセルされたのに対し艦上機型は生産数は少ないながらも生産が続けられ、朝鮮動乱でも活躍している。実用最大速度は時速740kmに達し、(カタログスペック上)最大1,076kmのソ連製ジエット戦闘機MiG-15さえ振り切ることが出来た。民間に払下げられた『シーフューリー』は『マスタング』や『ベアキャット』と異なり、大改造はされていない。基本性能が高いのと、英国機なので改造を施すと部品調達の問題や転売した時の下取評価額が大幅に下落するからだという。

17.低高度直線3km区間記録で時速776.449km。それまでの世界記録はドイツのメッサーシュミットMe209が1938年に打ち立てた755.13 km。この機体は『アンリミテッド』で通算6勝をあげ、『リノ・エアレース』人気の基盤を築いた功績は大なるものがある。

18.航空自衛隊でも採用された超音速ジエット戦闘機。グリーネマイヤーは10年かけて部品を集め作り上げたというが、エンジンだけは空軍から譲り受けた(らしい)。いずれにせよ、ジエット戦闘機を個人が組み上げるという離れ業は流石航空王国アメリカと言うべきか。

19.1977年10月24日、低高度直線3km区間記録で時速1,590.45kmを樹立した。この後、絶対高度記録37,650mに挑むものの、翌年2月テスト飛行中に故障が発生し機体は失われてしまう。わずか1年余りの命であった。

20.アメリカを代表する総合博物館でテーマ毎に建物が異なり、19の博物館と研究施設はワシントン D.C.のナショナルモールにあるが、他州にも分散している。NASM(=National Air and Space Museum)は航空宇宙関係の展示規模としては世界最大級、ワシントンに行ったらヒコーキやスペースシップに興味が無い人でも是非行ってみるべし。

21.世界で初めて「継続的に操縦を行った、空気よりも重い機体での動力飛行」を行った(航空機)。これ以外展示されている有名な機体としては、世界最初の一人乗り大西洋横断飛行を成し遂げた『スピリット・オブ・セントルイス』、世界最初の水平飛行で音速を突破した有人飛行機『ベルX-1』等がある。

22.RTD(=Ready To Drink)は広い意味でそのまま飲める缶・ペットボトル飲料を指すが、ここでは低アルコール飲料のこと。『スミノフアイス』はスミノフをベースとしたカクテルでアルコール度数5%前後。データは酒類業界の市場調査企業、IWSR(=International Wine and Spirit Research) による。

23.『SMIRNOFF DE CZAR』 ツァーとは皇帝の意。酒好きには幻のウオッカとして知られ、垂涎(すいえん)の的である超貴重品。 とっくの昔に生産が終了したため市場には滅多に出ることなく 、以前ネットオークションでは5万円位だったが今ならもっとするだろう。

24.低高度直線3km区間で時速850.26kmを記録し、グリーネマイヤーを凌駕(りょうが)。また3,000mまでの上昇速度1分32秒が公認されて、現在でも破られていない。二つのレコードホルダーであり、『リノ・エアレース』だけでも10回の優勝を成し遂げている。

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【トップ写真】セントーレア・モンタナ・アルバ(Centaurea Montana Alba)。宿根矢車草の仲間で苗から育てて3年目。在来種より大輪で背が低く、他の花と組み合わせやすい。

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