【古雅楽館】プラモデル作品展示会

 

 

古雅楽館が初めてプラモデルなるものに接したのは、小学校6年生の頃だったと思う。ある日、学校の帰りに友達から「こういうの、見たことあるか?」とズックカバンから小箱を取り出したのが今に至るプラモ人生の幕開けだった。うやうやしく蓋を開けると、脱脂綿が敷かれた中に鈍い銀色の飛行機が、ヒヨコよろしくうずくまっていた。その時の機種は一体何だったのか思い出せないけど、プラスチックという新しい素材を使った実物そっくりに縮小された飛行機の姿にショックを受け、ものすごく感動した記憶がある。

 

小学校に入る前から、戦時中叔父が取っていた『航空朝日』を毎日眺め、写真ページの飛行機や軍艦の名前は全部暗記した程の古雅楽館にとって、プラモデルの到来は黒船と言うか、神の降臨に思えたものだった。それ以来、なけなしの小遣いはあらかたプラモデルに費やされるようになる。

 

友達が自慢したヒコーキは、三共というメーカーが出していた世界各国の軍用機『ピーナッツシリーズ』で、これまで雑誌の写真や絵でしか見たことがない機体が3Dでイメージをつかめることは今まで経験したことのない新鮮な感覚だった。キットは胴体や主翼が一体構造で、申し訳程度にプロペラや脚などのパーツとデカールがついており、今から見れば簡単極まりない造りだった。ただ実機の雰囲気はそれなりに伝えており、ヒコーキ特有のカッコ良さが古雅楽館をモデラ―に走らせるきっかけになったのは間違いない。

 

最初に買ったのは、今でも鮮明に覚えている。第二次世界大戦アメリカ陸軍機の『カーチスP-40』でアゴが出っ張った『E型』であった。その後は小遣いが貯まる度に一機ずつ買い足していったが、兎に角、見るもの全てが魅力的だったから「どの機体が好き」以前の話で、店にあるどんなものでも「買い」だった。今思えば、この無計画な衝動買いが何の先入観念もなしに各国の航空機デザインやポリシーを比較することが出来、自分の好きな機種が芽生えて行ったのだと思う。

 

手持ちの機種が十機ほどになると、箱絵の印象や付け焼き刃の怪しげな知識を振り回して、機種選びをするようになった。当時一番のお気に入りだったのは『P-51Dマスタング』、ナンバーツーは前回の【古雅楽館】《航空洋書》トップ写真にでも紹介した『フォッケウルフFw-190』である。『マスタング』の見た目のカッコ良さはサイコーで、実機も「第二次世界大戦最優秀戦闘機」の折り紙つきだが、余りにも優等生過ぎるのがガキの古雅楽館にとっては逆に苦手だったし、子供達みんなが憧れた最新鋭のジェット機は全く興味なかった。その頃からの「へそ曲がり」は今になっても変わらない。

 

古雅楽館プラモデル黎明期(れいめいき)の思い出は書きたいことが山ほどあるが、ひとまずここまでとして、突然ですが今回は仙台のプラモデル作品展示会について。

 

 

 

【写真上】『仙台翼産会』作品展示会場の様子。二日間に渡り熱心なモデラ―が来場し、プラモ談議に花を咲かせた。

 

先般、仙台のプラモデルのサークル「仙台翼産会(せんだいよくさんかい)」の作品展示会が市内で行われた。毎年9月に二日間開催され、出品モデルは会の名称が示す通り航空機が主だが、他にもAFVや艦船、バイク、クルマにフィギュアもあり、バラエティに富んでいるのは例年通り。作品の出来はどれをとっても素晴らしく、制作技術レベルの高さは全国的にも有名なのだ。毎回そうだが今年も東京・神奈川や新潟からモデラ―が作品持込で参加、中々の賑わいでした。古雅楽館は出品する程の腕は持ち合わせていないので、見るだけ。昔はどこの展示会でも自分の(浅)知恵をひけらかして、「ああでもない、こうでもない」と難癖(なんくせ)をつける輩(やから)がいたものだが、最近は自然淘汰(しぜんとうた)されてそんな無礼者はおらず、終始和やかな雰囲気でありました。

 

それでは会場で目を引いた(古雅楽館好みの)機体をランダムに紹介します。あ、その前に取り上げるヒコーキは皆軍用機ばかりなので、ソチラに抵抗のある方は飛ばして頂いて構いません。それと、全ての会員は人の好い善良な「平和主義者」でして、あくまでもモケーが好きで、少年時代の純粋なココロを今でも持っている、青年、オヤジ、ジジイの集まりであります。

 

 

ユンカース J1

 

 

 

 

先ず、第一次世界大戦の異色複葉機、『ユンカース J.1』。複葉機ながら世界で初めて量産された全金属製機で、偵察と地上攻撃を兼ねた。爆弾は搭載せず機銃のみだったが、機体主要部は装甲で覆(おおわ)われていたため、「空飛ぶ戦車」の異名を持つ。実際に敵の対空砲火にもよく耐えたようである。飛行性能は鈍重でも、その防御力から搭乗員から愛された。既に絶版のキットで、ネットオークションでは高額で取引されている。

 

 

フェアリー ソードフィッシュ

 

 

 

複葉機繋がりで、英国海軍の『フェアリー ソードフィッシュ』。旧式な低速の複葉機でありながら、第二次世界大戦を戦い抜いた傑作機。他に類を見ない素直な飛行特性、小回りの効く運動性能と帆布張り故の強靭(きょうじん)、大戦中期以降に登場した各種新兵器も搭載できる汎用性などから、『ストリングバッグ』の名で搭乗員や整備員に親しまれた。J1と同じ会員の作品で、細部の工作や複葉機必須の張り線、塗装など、ここまでまとめ上げた制作技量の高さはピカ一。 

 

 

ロッキード P-38

 

 

第二次大戦アメリカ陸軍戦闘機、『ロッキード P-38J ライトニング10』。1/32の大作で「双発双胴」というユニークなスタイルに銀と黒がよく似合う。実機のジュラルミン肌に合わせて銀色の塗料を数種類使用し、パネルの微妙な光沢を再現しているのは流石ベテランのワザである。

 

 

マーチン XB-51

 

 

戦後ジェット機時代の幕が上がると世界各国(もち戦勝国)で、ジェット軍用機の開発競争が始まったが、設計はどこでも試行錯誤の連続だった。この異色作『マーチン XB-51』もその一つ。アメリカ空軍の中型ジェット爆撃機として開発されたが、競合に破れ不採用になった11。ジェットエンジンはご覧のように胴体前部下に二基、尾部に一基の、軍用機としては他に例を見ない三発機である。エンジンの装備方法、強い下半角の付いた主翼、自転車式の車輪配置などラジカルなデザインは今でもコアな航空マニアの人気が高い。なおこのキットは「プラモデル」ではなく、『レジンキット』という素材の異なるモデルである。制作や塗装はかなりの技術が必要12で、そう単純には組み上がらない。苦行を快楽に変えられるM志向の上級者向き。

 

 

ウエストランド ワイバーン

 

 

これも戦後間もなく英国海軍に採用された悲運の戦闘攻撃機、『ウエストランド ワイバーン13』。初飛行は194612月だったが、量産前に予定していたエンジンが調達不可能となり、再設計のトラブルが祟(たた)って実用化までに6年もかかる羽目になった。『ターボプロップエンジン』、『二重反転プロペラ』という特異な推進システムを採用したものの、既にジェット機の時代であり127機しか生産されなかった。僅か5年の就役期間中、エンジンの不調14から半数の68機が事故って、39名のパイロットが死亡、13名が重傷を負うという惨憺(さんたん)たる結末となった。実情はさておき、ヒコーキとしての造形的スタイルは、ご覧の通りマニア心がくすぐられるだけの魅力を持っている。作品は1/72という小ぶりなモデルでありながら、細部まで丁寧に作り込んであり、制作技術の高さが伺える。

 

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1.朝日新聞社が昭和15年から20年にかけて発行していた、本格的な(お堅い)航空専門誌。当時としてはプロパガンダ色があまり感じられず、三菱や川西航空機の技師による解説や対談など、航空技術の解説に主体が置かれていたようである。勿論小学前のコドモには理解できる訳がなく、巻頭のグラビアばかり眺めていた。国産機の検閲が厳しいので、新鋭機の写真はむしろ連合軍や(当時の)友邦ドイツが多かった気がする。古雅楽館のドイツ機狂いはここから始まった。

 

2.1960 年から 2年半程続いた半完成キットで、他社からパクリやそっくりさんが続出した「ヒット商品」。キャラメル箱より多少小さい紙製の箱に切り離したパーツと接着剤、デカールが入っており、60種類ほどが発売されたが、当時の値段は一個30円。物価比較だと現在は6~7倍だから、一個約200円になるので『ガシャポン』並の値段。記憶を頼りに押し入れの中を「ガサ入れ」したら出てきました、「空き箱」が。中身はもう無いけれど、箱だけでも大切に保存していたのは余程インパクトが強かった証拠。古雅楽館にとって最初の記念すべきプラモキットである。後発で出た双発機は50円だった。

 

 

3.P-40シリーズはアメリカ陸軍のみならず、英国やソビエト連邦など連合軍各国に供与され、大戦初期から後期にかけ総生産機数は13,000機以上に及ぶ。性能は平凡でダルな外見と合わせ日本での評価は高くない(よりも酷評だらけ)が、頑丈で実用性に優れた機体は前線の地上支援設備が貧弱な地域(つまり第二戦線)でも高い稼働率を誇った。欧州では北アフリカ戦線、アジアでは中国とビルマ戦線での活躍(というより使用歴)が有名である。写真は現在でも飛行可能な機体で、P-40の定番ともいえる『シャークマウス』を機首に描いている。

 

 

4.本文にもある様に「最強の万能戦闘機」としての評価が定まっているのは、航続距離・高高度性能・加速・運動性能・火力全てのバランスに優れているから。単独の要素では既にドイツ空軍はスピードに優る複数のジェット機を実用化していたが、兵器としての完成度は全く次元が異なる。各シリーズ合計生産機数は15,000機以上で第二次大戦米国戦闘機ではP-47(僅差でトップ)に次ぎ二位。P-51の成功によりこれまでの練習機と中型爆撃機ばかりだったノースアメリカンは一躍戦闘機メーカーのトップに躍り出て、戦後も『F-86セイバー』や『F-100スーパーセイバー』などを生み出した。なお、いつもの蛇足を書き足すと、『マスタング(Mustang)』とは北米大陸に帰化した野生馬だが、1960年中頃までは和製英語発音で『ムスタング』が普通だった。『マスタング』に代わったのは1964年からフォードが販売を開始、世界的な大ベストセラーカーとなった同名のスポーティーセダンを日本で販売する際にこのネーミングで発表したことが始まりである(詳しくは【古雅楽館】《サンフランシスコ》参照)。

 

 

5.メッサーシュミットBf-109と並ぶ、第二次世界大戦ドイツ空軍の主力戦闘機。1941年から部隊配備が始まり、制空・護衛・迎撃・地上攻撃・偵察といったすべての面で終戦まで活躍した。液冷王国ドイツ空軍の中では異色の空冷エンジン(メーカーはあのBMW)を装備し(大戦末期には液冷装備のバリエーションもあった)、総生産機数は20,000機以上とされる。

 

6.Armoured Fighting Vehicle (= 装甲戦闘車両) 装甲し固有の武装を持つ、軍用の戦闘車両。単なる装甲車や兵器を搭載したトラックやジープの改造車両は装甲がないので、AFVとは呼ばない。代表的なものが「戦車」、「自走砲」である。

 

7.Fairey Swordfish 本来は三座複葉の艦上雷撃機で、「ソードフィッシュ」とは『メカジキ』のこと。大戦初期にはイタリアの軍港を夜襲し雷爆撃でイタリア海軍主力艦に大損害を与えた『タラント空襲』、ドイツ海軍の戦艦『ビスマルク』追撃戦では魚雷攻撃で航行に致命的な損害を与えるなど、海戦史上に名を残す功績をあげた。新鋭機が就役した後も優れた低速・低空性能から護衛空母や簡易改装空母(MACシップという)に搭載され、対潜哨戒任務として地味ながら『Uボート狩り』に昼夜問わず活躍した。

 

8.機体は大半が鋼管に布を張った構造になっており、敵の銃弾を浴びても貫通するだけだから、機体強度にそれほど影響を与えず、燃えなかったし空中分解もしづらかった。↑『ビスマルク』への雷撃では空母『アークロイヤル』から出撃した全15機が撃墜されずに帰投した。この時、最も多く被弾した機体には175箇所もの銃痕(じゅうこん)があったという。

 

9. string bag (=網袋)。これほど活躍できた背景には、大西洋におけるシーレーン防衛(対Uボート作戦)を重視する英国海軍の海洋戦略と、枢軸国(すうじくこく)海軍の洋上作戦能力が極めて低かったことによる。過酷な太平洋海空戦で、まともに戦い得る機体では到底なかった。

 

10.双発の単座戦闘機でありながら15,000以上生産された、アメリカならではのデラックスな機体。長大な航続力と重武装を生かして、欧州・太平洋両戦線で終戦まで活躍した。アメリカ陸海軍エースパイロット(空軍はまだなかった)全員のスコアで、トップの「リチャード・ボング(撃墜数40機)」とナンバーツー「トーマス・マクガイア(同38機)」の(最後の)愛機もP-38であった。1943418日、ソロモン諸島上空で時の連合艦隊司令長官「山本五十六」海軍大将(搭乗機)を撃墜した機体としても知られる。

 

11.採用されたのは英国製の『イングリッシュ・エレクトリック・キャンベラ』で、B-51とは真逆の極めてオーソドックスなデザインの機体だったが、高速で高高度での運動性能に極めて優れていた。アメリカ空軍はB-57として、マーチン社がライセンス生産を行っている。これは「お情け」というよりも当時は『朝鮮戦争』の最中で、主だった航空機メーカーは新鋭機の開発・生産・改良で繫忙(はんぼう)を極め、そこまで手が回らなかったからだ(と言われている)。

 

12.個人やごく小規模な模型製作メーカー『ガレージファクトリー』から発売される「半完成キット」で、手作りしたモデル(原型)を「シリコーン」で型取りし、『ウレタン』等の樹脂原液二種類を攪拌(かくはん)混合させ、型に流して硬化させる。プラモデルと違い、金型射出機のような大がかかりな設備が不要で、生産コストが極めて安く上がる反面、細部の精度が劣るため追加工作が絶対に必要である。工作の前段階として、型から外す油性分の『離型剤(りけいざい)』が残っているため、除去するのに『剥離剤(はくりざい)』による洗浄が必要。素材には気泡の後があるため、それを埋めるのに『瞬間接着剤(またはパテ)』による表面処理が必須。素材がもろいので加工整形は極めてデリケート。塗装も基本『エアブラシ』で、事前に塗料の食いつきを良くする『プライマー』を吹き付けるなど、結構面倒で手間がかかるシロモノであります。

 

13.Wyvern (=飛竜)。同時代のアメリカ海軍艦上攻撃機『ダグラス ADスカイレーダー(以下AD)』と較べてみる。ADは従来のピストンエンジン(18気筒 ライト・デュプレックス・サイクロン)だが2,700馬力もの究極の性能を持ち(零戦は1,130馬力)方やワイバーン(以下W)は最新のターボプロップ(アームストロング・シドレー パイソン)なので3,560馬力だから、カタログ上はADより優れ(最高速度 W=612km :AD=518km)、100キロも速かった。然し他のスペックは、実用上昇限度 W=8,500m :AD=8,700m、武装W=20mm X 4 :AD=20mm X 4で対等。そして航続距離は W=1,465km :AD=2,118km、攻撃機として最も重要な搭載量は W=1,361kg :AD=3,600kg とADの方が遥かに優れていた。更に極めつけは総生産機数で、本文に書いたようにW = 127機なのに対し、一方のAD=3,180機と圧倒的な差をつけている。英国海軍が何故『ワイバーン』に拘(こだわ)ったのか? それはまた別の話である。

 

14.加速の応答が大変鈍いほか、空母の「カタパルト」から射出された際、瞬間的に機体へかかる圧力がエンジンへの燃料供給を滞(とどこお)らせ、いわゆる「ガス欠」でエンジンがストップするという致命的な欠陥があった。

 

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【トップ写真】エクストラEA-300SC。ドイツの曲技飛行機専門メーカーエクストラ社が製造している「アクロバット飛行」専用機。惜しくも今年限りで終了した『レッドブル・エアレース・ワールドシリーズ』をはじめとする世界選手権で、最も多く使用されている。モデルは日本を代表するレースパイロット『室屋義秀』の愛機『レクサスカラー』で、今年レッドブルで総合二位に輝いた機体。1/32のレジンキットで、デカールは「特注」という凝り方。『室屋義秀』については【古雅楽館】《ベアキャット》でも触れている。

 

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