【古雅楽館】航空洋書

 

「外国語(英語)は正直得意でない。」と書くと「これまで散々西欧かぶれのブログばかりで、何を今更」と叱られそうだが、古雅楽館の英語は仕事や向こうでの生活に必要な、例えばTOEICの試験に出てくる内容とは大きくかけ離れた裏世界の黒英語である。何故かと言うと「普段は使われそうもない特殊な名詞」ばかり覚えて、文法の基本は(今でも)高1レベルだから。

 

中学時代はそこそこだった英語が嫌いになったのは高校進学後だった。高1に入ったその日から授業内容は大学受験カリキュラム一色。「こんなはずでは」と思ったが、何しろ生まれてから死ぬまで競争から逃れられない「団塊の世代」だから何処(どこ)の高校に入っても授業はそんなものだったろう。英語をとってみても「文法」中心の無味乾燥な暗記中心の内容がどうしようもなく嫌で、全く「ヤル気」が無くなった。

 

ただ英語を学ぶ重要性は自覚していたし、将来仕事に就(つ)いた時に「何がしか必要になるかもしれない」という漠然(ばくぜん)とした気持はあったので、何とか大学に入ってからは「一から出直し」で独習した。したのは良いが、極めて偏向した学び方だったのは自分の趣味と大きな関わりがある。『好きこそ物の上手なれ』というコトワザがある。「自分の好きなことや興味のあることは、工夫や努力で上達しやすい」という意味だが、ここでの対象は「英語」ではなく、「ヒコーキ」である。小学生の頃から好きだったヒコーキ(プラモデル)作りは、受験の時は封印していたから、大学に入るや猛然と作り始めた。振り返れば大学生から社会人になり始めた頃が製作のピークで、自宅の机の上は常に数機が製作途上の状態だった。ジャンルは第二次世界大戦の英国かドイツ機と決まっていて、新製品が出れば必ず買った。

 

月に三機ぐらいの割合で作って行けば、それなりにウデも上がってくる。出来るだけ実機のイメージに似せるよう、翼を薄く削ったり、実物と形が異なるパーツや、キットにはない部品を自作するのは当たり前。塗装やマーキングもキットの指定では飽き足らず、他のモデラーとは異なる仕上げをするのが定石となった。こうなるとリサーチ上、どうしても参考書が必要となる。

 

今でこそ参考資料は有り余るほど手に入るが、当時国内の航空専門誌では古雅楽館のニーズを満たすような記事が全くなく、年に数度写真集が出るくらい、しかも写真のキャプションは考証が全く無いか、あっても「デタラメ」に近いため、欲求不満になること夥(おびただ)しい。作ろうとする機体の細部や塗装を調べようとすれば、海外の航空専門書(誌)、いわゆる洋書を購入せざるを得ないのは必然的な成り行きであった。それに資料を読んでいく過程で「語学」のベンキョーにもなると勝手な理屈をつけて、大学1年から夏と冬はアルバイトで資金を稼ぎ、得たカネはその都度全て洋書と外国製プラモデルに消えて行った。

 

当時は、まだ1ドル=360円の『固定相場制』の時代であり、個人輸入も簡単には出来なかったので、洋書の購入手続きは東一番丁にあった「丸善」に通ったが、最初は先方も随分面食らったようだ。仙台で専門書を海外から取り寄せるのは(恐らく)大学関係者が主なのに、其処へ聞いたこともないような出版社と書名のリストを持ってくる若造の注文に大分苦労をしたらしい。しかし流石プロ、どんなオーダーにも応じてもらい、一年も経たぬうちに専門スタッフのダンディなお兄さんと仲良くなって「今度は何処の国の本ですか?」と顔を知られるまでになった。普段は人見知りの古雅楽館が趣味の分野になると、俄然大胆不敵になる行動はこの時、既に基盤が出来上がっていたのである。

 

 

【写真上】思い入れのある雑誌だけに、50年以上経った現在も大切に保管している。久し振りに押し入れの奥から引っ張り出して本文を一瞥(いちべつ)したが、当時読んだ感激が昨日のことのように思い出す。ebayでは今でも一冊500~1,000円位で入手可能。

 

最初に注文したのは『フライング・レビュー・インターナショナル(Flying Review Interrnational)』という英国の航空雑誌で、航空関係者のみならず、世界中の航空機マニアが愛読していた。『丸善』に頼んでから一か月ほど経った頃、母親から不審な顔つきで「外国からこんなのが届いているよ。」と言われ、簡素ながら大きめの茶封筒を受け取った時の感激は今でも忘れられない。早速開封してみると、見紛(みまご)うことなき憧れの雑誌である。日本のそれと異なり中綴じの薄っぺらな装丁(そうてい)はいささか拍子抜けしたが、内容の濃さは読むまでもなくすぐ分かった。巻頭にニュースやトピックスがある他は、第一次大戦機から現用ジェット機に至る、有名無名を問わない様々な航空機の記事が中心で、見開きのカットアウェイ図面(これがまた素晴らしい)がついた技術面からの解説や実現に至らなかったペーパープランも含む改良型バリエーションの紹介、戦歴(民間機では運用実績)についてはそれまで知らなかった事実がテンコ盛りでかなり読みごたえがあった。記事の信憑性(しんぴょうせい)は、時折取り上げられる日本機を読んだだけでも、(それまであった外国人特有の)偏見や独断が感じられず、客観的に記述してあることから裏付けられた。また巻末にはモデラー向けに第二次大戦機を主とした一機特集のカラー側面図が掲載され、これまた資料価値が絶大だった。

 

 

【写真上】ヒコーキモデラーから熱烈歓迎された、『フライング・レビュー』十八番(おはこ)のカラー図面。左は一機特集のイタリア機、スペイン内戦当時の『フィアット CR-32(戦闘機)』。フィアットは昔ヒコーキも造っていたのだ。右はドイツ空軍主力爆撃機、『ユンカースJu-88A』カラー側面図と部隊標識。

 

と書くと、如何にも記事をすらすら理解したように思われるが、事実は全く逆。辞書を片手に隅から隅まで何度読み返しても専門的なフレーズが多く、難行苦行の連続。1ページ読むのさえ何日(場合によっては一週間)もかかる有様、特集記事の一部をやっと読み終える頃、次号が届くといった具合で、英語の授業をサボったツケをイヤと言うほど思い知らされることになった。誌面を読む上で特に理解力の無さを痛感したのは難解な専門用語もそうだが、『イギリス英語』特有の「持って回った」表現が多く、英国古来の故事熟語や成句(せいく)を知らないと「何を言わんとしているのかチンプンカンプン」だったこと。まるで「謎解き」だったが、やがて「こういう言い回しもあるのか」と妙に感心し、英国文化も学べてしまういいチャンスと思うようになった。活字であっても初めてリアルタイムで接した異文化の香りは、やがて古雅楽館の英国びいきを確立してしまう一助になったのは間違いない。

 

雑誌を読み続けている中に、広告や読者の投稿から、英国人があらゆるジャンルで如何に古いモノを大切にしているかを知ったのも得難い収穫だった。「英国骨董」に興味を持つキッカケを与えてくれたのも「第二の恩恵(おんけい)と言え、やがて心の中には「いつか英国に行って本物の『スピットファイア』を見るのだ」という信念を持つまでになった。それが現実になるのはかなり後になってだが、例え趣味の世界にしても、コトを成就(じょうじゅ)させる何かしら動機があって、それを実現させるためにコツコツと努力することは人生の励(はげ)みになると知ったのも、この雑誌があったからこそである。様々な航空機の知識を得たことと英語のみならず、趣味嗜好しゅみしこう、仕事に至るまで後々自分自身に与えた影響の大きさを考えるとき、当時は高価だった雑誌代も人生の投資だと思えば安いものだったと思う。

 

話は戻って、すっかり味を占めた古雅楽館は我が身の将来など全く考えず、更に二種類の雑誌購読、単行本の購入と、大学時代は殆ど「ヒコーキ漬け」オンリーの日々を過ごした。その後、なし崩し的に社会人になってから数年経った頃、東京に航空関係書籍専門の店がオープンし、以前に比べて極めて容易に新刊本を買えるようになり、更に仙台の模型店でも洋書を扱い始め、『疾風怒濤(しっぷうどとう)の時代は終わりを告げた。

 

それでも古雅楽館の「洋書買い」のクセは止まらない。やがてアメリカ、ヨーロッパに添乗や出張に行く機会が増えると、時間を割いては現地の本屋を覘(のぞ)くのが習慣になり、最低一冊は買ってくるようになった10。ジャンルもヒコーキ以外、一般の方が手にすることは滅多にないであろう、海軍艦艇やSF画集、地質学、それに近年著しく発展を遂げた恐竜学がターゲットで、小説などの「読み物」を買ったことは一度も無かった。現役を去った後は購入ペースもぐっと落ちたが、それでも性懲(しょうこ)りなくヒコーキを中心にアンティークやインテリア関係本をネットで手に入れている。

 

 

 

【写真上】《ブックシェルフ放浪記〈想定外篇Ⅱ〉》ではスピーカーの間に二対の本棚が写っているが、その中身こんな状態で殆どが航空洋書。雑誌はオーディオや料理関係含め和室に山積み、カミさんからしょっちゅう怒られている。

 

こんな理由で古雅楽館のリビング『ブックシェルフ』に並べられた「本」は、どれをとっても思い出深い貴重なものばかりである。かなり特殊な分野ばかりだから日本では翻訳もされておらず、Wikiでも解説が物足りないアイテムが多いので調べ物がある時は今でも重宝するし、「ボケ」防止のためにも未読のパートはいつか読み直すつもりだ

 

【写真下左】こちらも《ブックシェルフ放浪記〈想定外篇Ⅱ〉》に載せた、リビング東側出窓下の本棚。下段はインテリアとガーデニング本にレコード(LP)。上段はアンティーク本と、よく聞くCD。【写真下右】学術書の一例。左は『The Map of the Heaven』、個々の「星座」を豊富なイラストと共に詳細に解説したもの。右は『Geology of National Parks』北米(アメリカ合衆国)全ての国立公園を、地質学上の特徴と成り立ちを記述した大学参考書。

 

 

 

「航空洋書」を(拾い)読みまくって何とか文章を理解できるようにはなったものの、いびつな学習効果は冒頭に述べた「アンバランス英語」になってしまった。が、今ではそれもまた良し。『ドリームズ・カム・トゥルー(Dreams Come True10 を地で行ったし、身についた「普段の生活には全く役に立たない雑学」は、海外添乗や出張で現地ガイドやドライバーと打ち解けるきっかけの話題として大いに役立った。【古雅楽館】《イコンⅡ》でも書いたように、さも現地に長年住んでいるようなハッタリをかますことも簡単にできたので11、(ロンドンの)チューブでは電車の待ち時間に地元のJKから行先を聞かれたこともある(ちゃんと答えました、はい)。尤も、もう何10年以上も昔の話なので、「化けの皮」はとうに剥(は)がれてしまっているが・・・。

 

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1.Cut Away  日本語では『透過図』だが専門用語なので『立体構造図』の方が一般的。航空機や自動車、工場等の内部構造を詳細に描いた画法で、図はトップ写真で紹介したFw-190(空冷型)のカットアウエィ。

 

 

2.『机上(きじょう)の空論』に同じく、頭の中だけで考えて実際には実現不可能な役に立たない、文字通り「計画倒れ」、「絵に描いた餅」のこと。ヒコーキマニアの中で特に有名なのは、第二次世界大戦ドイツ敗戦間際に計画された様々なタイプのジェット戦闘機や爆撃機がある。奇抜なデザインが多く、本当に飛べるのか疑わしいモノもあるが、戦後連合軍に資料が押収されて研究が進み、デルタ翼機や可変翼機等、実現した機体もある。なお、「ペーパープラン」は和製英語で、本来は『イムプラクティカルプラン(Impractical plan)』という。

 

3.当時から主要国に『コレスポンデント(Correspondent=特派員・通信員)』を置き、世界各地の航空に関する最新のニュースや情報を得ていたのは流石、エスピオナージ(Espionage=スパイ活動)王国、大英帝国(の雑誌)だけのことはある。日本では航空評論家の草分けだった関川栄一郎氏が通信員だったので、日本機に関する正確な記述は氏からの資料提供だったと思う。

 

4.二つ以上の「語」がまとまって特有の意味をもった「ことば」。広義には「ことわざ」も含まれる。

 

5.例えば世界最初のジェット偵察爆撃機、アラドAr-234解説記事の見出し【写真下左】、『Like Greased Lightning(ライク・グリースド・ライトニング)』とは何ぞや?直訳すれば「グリース(潤滑剤)を塗った稲妻のように」だが、Lightningには「ものすごく速い」例えがあり、それに潤滑剤を塗るのだから「目にもとまらぬ速さ(の物体)」、「恐ろしく速いスピードで動く(乗り物)」と言う意味で、Ar-234のドイツ語愛称『Blitz(ブリッツ=稲妻・電撃)』の掛け言葉にもなっている。実際、高高度1万メートルを時速700㎞以上ものスピードで飛ぶAr-234は、当時のいかなる連合軍戦闘機も捕捉撃墜(ほそくげきつい)不可能だったから、『電光石火』の例えがピッタリ。なお、このフレーズは英語圏では結構ポピュラーで、ジョン・トラボルタとオリビア・ニュートン・ジョン主演(懐かし!)、ミュージカル映画『グリース』(公開1978年)の挿入曲タイトル名にもある。【写真下右】は『ブリッツ』のカットアウエィ。

 

 

 

6.特に面白かったのは、Classified Advertisements(クラシファイド・アドバタイズメンッ)と呼ばれる短かく簡素な広告で、日本だと『三行広告』にあたるヤツ。同じ種類ごとにまとめて表示してあり、広告主は地方の業者だったり個人企業が主で、英国の生活を垣間見ることが出来た。雑誌の性格上、航空に関係するものが多く、「航空専門学校生徒募集」とか「航空写真測量技能者募集」等の求人、航空関係書籍専門店(古本屋)、バッジやプラーク(【古雅楽館】《プラーク》参照)の販売など、種種雑多である。

 

 

7.スーパーマリン・スピットファイア(Supermarine Spitfire)第二次世界大戦で活躍した英国の戦闘機。「英国の戦い(Battle of Britain 1940年)」ではドイツ空軍から英国を守った「救国の戦闘機」として有名である。戦訓により逐次改良され、大戦後も現役にあった。生産機数は「零戦」の倍、2万機以上。今でも英国の主だった(軍用)航空ショーでは、フライアブル(飛行可能)なスピットが必ず会場上空をデモフライトして、観衆を喜ばせる。古雅楽館にとっては優雅な飛行もヨロシイが、ロールスロイス『マリーン』エンジンの爆音が何とも言えず耳に心地良かった。なお、完璧にレストアされたスピットファイアが現在西回りの世界一周飛行を行っており、ロシア(沿海州)経由で日本にもやって来る。本当は今日(19日)仙台空港到着だったのが、天候の関係で数日遅れる模様。古雅楽館も仙台空港に駆けつけるつもりなれど、連休期間は天気が悪いので心配だ。古雅楽館にとってのスピットはこれが見納めかも。スポンサーは(超)高級時計で有名なIWC

 

8.最初に買った航空洋書単行本は、今は無き英国の航空書籍専門社ハーレーフォード(Harleyford)が出した、ハードカバーの豪華本『エアクラフト・カモフラージュ・アンド・マーキングス(Aircraft Camouflage and Markings)』全二巻で、航空機の塗装とマークに関する百科事典のようなもの。対象が余りにも広範囲なので概要しかつかめなかったが、当時としてはこれが唯一の(塗装)参考資料だった。英国空軍に関しては最も多くページ数が割かれ、全飛行中隊の紋章(モットー含む)も掲載されていて、今でも価値がある。

 

 

9.激しく吹く「風」と打ち寄せる「大波」。転じて「時代や身を置いている状況が激しく変換する様子」の例え。いつもの蛇足を書き加えると『疾風』は「はやて」とも言い、第二次世界大戦後期の日本陸軍主力戦闘機。及び太平洋戦争で最初に戦没した日本海軍の駆逐艦(くちくかん)。現在では東北新幹線・北海道新幹線で運用している特急列車の愛称。図に乗って更に付け加えると、同新幹線で運用している特急『はやぶさ(隼)』も第二次世界大戦全期間に渡って活躍し、映画の主役にもなったほど有名な戦闘機。嘗(かつ)ての先輩・後輩つながりで『隼』と『疾風』が同じ新幹線を走行しているのは、ヒコーキマニアの密かな喜びである。

 

10.Amazonなどない時代のこととて、持ち帰れる本は数冊が限度。コート紙ハードカバーの本は重いので機内持ち込みはしんどいし、スーツケースに入れるとヘタすれば『エクセス(Excess baggage=超過手荷物:航空・旅行業界用語)』に引っかかるので大変だった。また、商業ベースで流通していない特殊なジャンルの本(自家出版が多い)は大学の生協に行って買った事もある。

 

11.美和ちゃんではありませぬ。「夢はかなう」、「願いはかなう」の意。現役時代、↑#で書いたスピットファイア(と他の英国機も)見たさに、英国の「航空ショー」見学ツアーを企画・募集し、実際に何回か催行した。【古雅楽館】《ベアキャット》に書いたNASM訪問もツアーの一環で、この時はワシントン経由ロンドン行き東回りの世界一周急ぎ旅。今はなき『パンアメリカン航空』大西洋横断便に乗れたのが、(別の意味で)最高の思い出である。サービスはサイテーだったけど・・・。

 

12.そのコツは、ここで大ぴらに書けるシロモノではないので、興味のある方は直接お尋ねください(冗談)。

 

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【トップ写真】一昨年、40年ぶりに作ったプラモデル、第二次世界大戦ドイツ空軍戦闘爆撃機フォッケウルフFw-190F8で、第10地上攻撃航空団第Ⅲ飛行大隊所属。ドイツが降伏する前日の194556日、チェコで対空砲火により操縦不能、不時着した機体。塗装の考証にはかなりの参考資料を必要としたが、これも模型製作楽しみの一つである。タミヤ模型の1/48、塗装はエアブラシが当たり前の時流に反し、全て筆塗り。現在も何機か制作中なれど、一向に進展しない。出来上がったらお見せします。

 

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