【古雅楽館】 イコン Ⅰ

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大昔、古雅楽館が旅行会社に入社した当時、専門の添乗員、業界用語で言う『プロ添』は「JALPAK」や「LOOK」などの大手のパッケージツアー以外殆どおらず、もっぱら社員が添乗を行っていた。海外パッケージツアーを主催している本社から各支店へ割り当てが来るのだが、行き先は米国やヨーロッパが主体なので大概の社員は怖気(おじけ)づいて拒否するため、人選はいつも難航したらしい。

 

それは無理からぬ話であって、当時は満足な添乗員教育もしていなかったし、現地の情報も今のように簡単に手に入る時代でなかったから、空港の乗継一つとっても駆け出しの添乗員には恐怖そのものであった。最大の問題はやはり「コトバ」であったと思う。日常会話ができる程度の語学力に加え、旅行の専門用語や料理メニュー、病気やけがの時の表現など、どれをとっても絶対覚えておかねばならなかったから、余程本人が努力しなければ務まらない仕事であった。

 

その頃、東京から赴任してきたばかりの支店長から「本社からの添乗依頼が来たら出してやるが、ヨーロッパなら『キリスト教』だけはとことん勉強しなくては駄目だ。ヤルなら今の内だぞ」と助言を受けたことがある。いつの時代でもそうだが、年寄りや先輩からのアドバイスほど有益なモノはないのに、受ける側の若造は聞き流すかテキトーに相槌を打ってコトを起こさないのが世の常。古雅楽館もその時は「ふふーん」と思っただけで軽く受け流しただけだった。この安直な姿勢にキョーレツなしっぺ返しを食らったのはそれから間もなくのことである。

 

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【写真上】階段室の途中に掛けた十字のアンティークプリント。右側半分見えるのは『イコン』のひとつ(次回紹介)。【写真下左】古本からの切抜きかと思うが「裏打ち」されているので詳細不明。【写真下右】拡大した十字で、五種類以上言い当てられるアナタは達人。左から右へ、<一列目>「ラテン十字」、「ラテン十字のバリエーション」、「タウ十字」、「ロレーヌ十字」、<二列目>「ギリシャ十字」、「サルタイアー(聖アンドリュー十字)」、「マルタ十字」、「クロス・ボトニー」、<三列目>「クロス・ボミー」、「クロス・モーリン」、「クロス・フローリー」、」、「クロス・フローリーのバリエーション」、<四列目>「クロスパティ―」、「クロス・ポテント」、「スワスティカ」、「クロス・クロスレット」。

 

(多分)今もそうだと思うが、欧米の観光で日本語を喋るガイドは大都市に限られ、地方は現地ガイドによる英語の案内が普通だ。何処の国でもガイド資格をとるには語学も含め厳しい試験があるので、誇らしげに胸へつけた政府公認のバッジはダテじゃない。三か国語以上話せるガイドはザラにいるし、それだけ観光に関する知識も半端でないほど深い。だから(本当は)大都市でも観光案内は地元のガイドに説明してもらうのが一番である。

 

ところがどっこい、話す内容はコチラが事前に覚えておいたアンチョコを遥かに超越し、裏話や地元でしか通用しないような身内ネタも説明時に突然話すので、お客様へ通訳というか意訳する時はエライ苦労を味わう。それに流暢(りゅうちょう)な英語を話すベテランガイドでも、その国の国王や偉人の名を呼ぶ時は、いきなり母国語に変わることがしょっちゅうだ。これがかなり厄介で予め母国読みと英語(というか普通の)読みを覚えておかないと、かなりギクシャクした日本語の説明になってしまい、お客様の前で面目を失うことになる。

 

その最も代表的な例がキリスト教文物の観光案内で、予備知識なしではガイドの説明はまったくの「チンプンカンプン」、それに大部分のお客様はキリスト教に疎(うと)いので、地元では常識となっているキリスト教用語も説明しなければならないから、並大抵ではない。その事前勉強を怠ったツケが添乗本番の時に巡ってきた。

 

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【写真上】「サン・フランチェスコ大聖堂」外観(イタリア現地の世界遺産案内から転載)。

 

イタリア中部スパジオ山の麓にカトリック教会の巡礼地、古都アッシジがある。『聖フランシスコ』が生まれ育った町として有名で、その功績を讃えるため建立された『サン・フランチェスコ大聖堂』は『サンタ・キアラ修道院』と共に世界遺産に登録されている。聖堂内部はジョット等の著名な画家によるフレスコ画6が多数描かれ、一般の観光客にも人気が高い。

 

確かヨーロッパ3度目の添乗だったと思う。その前はパリだけとロンドン・パリだったので観光案内は日本人ガイド任せ。何とか凌(しの)いだものの、今回はローマからヴェネツィア・ミラノへの縦断旅行で、フィレンツェに泊まる途中アッシジに立ち寄った。バスの駐車場で待っていたガイドがまたえらく元気のいい、ふくよかなオバサンで、『マンマ』を絵に描いたような方だった。親切で気さくだし、こちらが「ルーキー」だと言うと任せてくれとばかりに頷(うなず)いて、これまたイタリア人気質丸出し。ひとまず安堵したのだが、その後がいけなかった。

 

観光案内が始まるや、オバサンはお客様へのサービス精神からか、知っていることを皆話さないと気が済まないばかりの勢いで早口言葉が飛び出した。出るわ出るわ、次から次へと教会関係や歴史・フレスコ画法等、用語の羅列(られつ)&乱発。それが人名であれば先にも書いたように、英語読みとイタリア語読みの「チャンポン」。説明した内容の半分も分からない。参りました、降参であります。懺悔(ざんげ)するけど、はっきり言ってその時、古雅楽館の説明は冷や汗ものの「赤面の至り」でありました。ただお客様はガイドの大仰な手振り身振りが面白かったらしく、そちらに気を取られて古雅楽館の話は殆ど聞いていなかった(らしい)のは救いではありましたが・・・。

 

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【写真上】「サンタ・キアラ修道院」外観(イタリア現地の世界遺産案内から転載)。

 

旅程その後は、フィレンツェにしろヴェネツィアにしろ日本人ガイドがついたから何事もなかったが、このショックで「自己嫌悪」に陥ってしまった。お客様の手前でもあり顔にこそ出さなかったものの、旅行中はいつも気が滅入る毎日。ミラノでイタリア最後の夕食は、お詫びのシルシに自腹を切ってワインをオーダーし全員に振舞ったものだった。まあ誰も失態を咎(とが)めず、逆にねぎらいの言葉をかけてもらったのは嬉しかったが・・・。

 

帰国後、「これではあかん」と遅まきながら気付いて、それからは本気モードで勉強しました。歴史は昔から現代史以外苦手だったが、そんなことは言ってはおれぬ。トラウマを解消せねばならないし、他社の添乗員には負けたくない意地もあったから「プロとして通用しなければならぬ」と自分に言い聞かせ、聖書を読み直して、絵画・建築・文学からロック(音楽)やポピュラーに至るまで、添乗で役に立つとは思えないものも含む、ありとあらゆる分野でスキルアップを図った

 

それでも(当たり前だが)学べば学ぶ程、キリスト教の奥の深さを思い知らされ終着駅が見えてこない。「プロとして」通用する身になったかは置いといて、一端(いっぱし)の添乗員になった後も、更にあの時から40年以上経ち現役を退いた今でも、キリスト教関連の文物を調べるクセが身について、折に触れてはそれに関する本を読む。

 

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【写真上】「初期ビザンティン美術」の教本。どちらも『サン・ヴィターレ聖堂』の内部で、左の見開きは『内陣』、右の見開きは「ユスティニアヌス帝と宮廷人」、「「テオドラ王妃と随臣・侍女達」を写真と共に解説している。

 

現在は、『ギリシャ正教会10』に関する美術、就中(なかんずく)『ビザンティン建築と美術11』を調べている。というのも、昔或る団体の依頼でブルガリアとイタリア北部にあるビザンンティン建築・美術巡礼の旅を企画したのだが、出発する一か月位前に『コソボ紛争12』が激化、企画はポシャってしまい行程は大幅に変えざるを得なくなってしまった。

 

本当に行きたかった、『リラの修道院13』、『アレクサンドル・ネフスキー大聖堂14』、それに『ラヴェンナ15』、 噫(ああ)・・・。

その時の遺恨(いこん)は今でも残っていて、「いつかリベンジで是非」と見果てぬ夢を見る訪問地が、また増えるのでありました。

 

 

<この項続く>

 

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1.例えば』(↓2)のサン・フランチェスコは英語読みだと『セント・フランシス(=St.Francis)』だ。サンフランシスコ中心部、ユニオンスクエアに面する名門ホテルの名称でもある(Westin St.Francis : Union Square Hotel San Francisco)。

 

2.アッシジの裕福な家に生まれ育ち、若い頃から放蕩(ほうとう)に明け暮れた生活を送ったが、後に改心して出家、修道士として「清貧」、「自由」、「神の摂理」の三位一体を信条として庶民に説いて回った。死後間もなく『列聖(れっせい)』にあげられ、中世イタリアで最も有名な『聖人』の一人である。言うまでもなく、米国西海岸の都市サンフランシスコ(【古雅楽館】「サンフランシスコ」も御覧ください)はこの『聖人』の名にに由来する。

 

3.Basilica di San Francesco 13世紀に建造されたがその後も増改築を繰り返し、丘の斜面に建てられた上部は『ゴシック』、下部は『ロマネスク』と建築様式が異なっている。

 

4.Basilica di Santa Chiara 聖フランチェスコの精神に則り「女子修道会」を立ち上げた『聖キアラ』の功績を讃えて建てられた「女子修道院」。アッシジの貴族の娘だった『キアラ』は財産を全て放棄し「清貧」と「労働」を日課とする生活を送り、「女子修道会」をローマ教皇の承認を受けるまでに尽力した。英語読みは『クレア(=Clare)』または『クララ(=Clara)』、日本でも馴染深い名前だが女性雑誌『CREA』は語源が異なる。

 

5.ジョット・ディ・ボンドーネ(Giotto di Bondone)。 中世後期13~14世紀の画家、建築家。これまでの画一的な『ビザンティン様式』を打ち破る、近代的な三次元描写を確立した。また↓5の『フレスコ画』の近代画法を開発した点でも高く評価されている。代表作としてパドヴァにある『スクロヴェーニ礼拝堂の壁画(フレスコ画)』があり、37のシーンは人物・風景とも誇張の無い表現ながら、具象画として完成された臨場感溢れた印象を与える。ここにある一連の絵画の中で、特に有名なものとして『東方三博士の礼拝』があり、ジョットが1301年に見た『ハレー彗星』が『ベツレヘムの星』として描かれている。1986年に打ち上げられた「ハレー彗星探査機」はこれに因んで『ジョット』の名がつけられた。

 

6.石や煉瓦で組んだ壁に「川砂」と「消石灰」の『漆喰(しっくい)』を塗り、その上に水で溶いた「顔料」で絵を描く技法。絵具の「溶剤(=定着剤)」を使わないため顔料の発色が鮮やかで、石灰の働きにより表面が「炭酸カルシウム(=カルサイト)」で覆われるため耐久性が抜群である(数千年とも)。但しやり直しが効かないので、画法の習熟と高いテクニックを必要とする。古雅楽館【絵を飾る】で触れた、バチカンにあるラファエロの「アテナイの学堂」、ミケランジェロによる「最後の審判」、「創世記」が代表的。なお、これも有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』は、フレスコ画ではなく『テンペラ画(次回に解説します)』の一種である。

 

7.Mamma イタリア語でいう「おかあさん」。庶民的なイメージで、(紹介などで使う)「母親」としてはマードレ(Madre)が使われる。マンマ ミーア (=Mamma Mia)は「かあちゃ~ん」だが、『なんてこった』という意味。英国のロックグループ『クイーン』の名曲『ボヘミアン・ラプソディ』でも曲半ばで出てくるが、ニュアンスは若干違う。これだけでブログネタになるからあとは書かない。

 

8.今では常識だが、ちゃんとしたレストランでワイン(酒)を注いで廻るのは御法度、マナー違反だ。他にワインのマナーとして「グラスを持つときはステムではなくボウルを持つ」、「乾杯のセレモニーがある時はグラスを合わせない」、「ソムリエに注いでもらうときはグラスを持たない」、「無暗にワイングラスを回さない」ことが挙げられる。

 

9.受験勉強やクイズ出場ではないので丸暗記せず、観光案内時に使う用語、歴史上の出来事、人物を中心に覚えたが、「ちょい読み」では身につかない。何事もそうだが、「1」を説明するのに「100」を覚えないと底の浅さがすぐ露呈する。

 

10.『正教会』全体を表す総称で、東ヨーロッパ・ギリシャ・中東に広がった『東方教会』のひとつ。「教義」は難解なので省略。『正教会』ではイエス・キリストを『イイスス・ハリストス』と呼び、教会は『聖堂』とも呼ばれる。因みに石巻市にある『旧石巻正教会教会堂』は、現存する日本最古の木造教会建築である。建物が旧北上川河口の島、「中瀬」にあったことから3・11では津波の被災に遭い、かなりの部分が損壊したものの奇跡的に流失を免れた。現在修復作業中。

 

11.『ビザンティン建築』は東ローマ帝国の建築様式でキリスト教の礼拝空間、所謂(いわゆる)教会(聖堂)建築で、ローマ時代の建築工学を継承し早期から完成度の高さを誇ったが、その後は発展することなく伝統的な工法のみが継承され、衰退しつつも14世紀まで残存した。最も華やかで規模の大きな聖堂は『ユスティニアヌス一世』(↓15 参照)時代のものである。『ビザンティン美術』は東ローマ帝国内のみならず、勢力圏内の地域に大きな影響を与え、ロシアやブルガリア、南イタリア及びシチリアにもその痕跡を見ることができ、イスラム美術にも影響を与えた。最大の特徴は精緻な『モザイク画』で、他国の追随を許さない。ラヴェンナをはじめ、この時代に建てられた聖堂に現存するものは大半が『世界文化遺産』に登録されている(これも ↓15 参照)

 

12.バルカン半島「コソボ」で発生した武力衝突。当初はセルビアの圧政に抵抗するアルバニア人による「コソボ解放軍」の紛争であったが、簡単な図式ではなく、旧ユーゴスラビア構成国の思惑や相互の対立が絡み、戦いが先鋭化した。戦闘が激化したのは1996年で、3年後停戦・和平交渉が進められたものの合意に至らず、1999年3月NATO軍の介入による空爆が開始され新たな展開を迎えることになる。その間、米国やロシア等各国の調停が続き、3か月後停戦に合意、曲がりなりにも紛争は終結したものの数十万人の難民が発生、戦争犯罪者の起訴、NATO軍介入の正当性など多くの問題を残すことになった。

 

13.ブルガリアで最も有名な『ブルガリア正教会』の修道院。同国最大の規模を誇りシンボル的存在、『世界文化遺産』に登録。修道院中心部にある『聖母誕生教会』は外観が赤・白・黒を基調とした横縞のゼブラ模様で、極めてユニーク。外郭や内部の天井はカラフルなフレスコ画で埋め尽くされ、更に内部正面奥には『イコノスタス(=聖障)』と呼ばれる『至聖所(しせいじょ)』を区切る壁があり、金箔が施された細密な彫刻と『イコン』で埋め尽くされている。

 

14.首都ソフィアにある『ブルガリア正教会』の大聖堂で、中世ロシアの英雄を記念して名付けられた。20世紀初頭に建造され、それほど古いものではないがヨーロッパ各国に依頼して製造した建築パーツや素材で豪華に装飾されている。

 

15.イタリア北東部にある古代ローマ時代から中世にかけ繁栄した港湾都市。現在は海岸線が前進して市街は内陸に位置する。6世紀半ば東ローマ皇帝『ユスティニアヌス一世』による『ゴート戦争』で「東ローマ帝国ラヴェンナ総督領」の首府となって繁栄した。ビザンティン建築を代表する『ラヴェンナの初期キリスト教建築物群』は『世界文化遺産』に登録され、中でも『サン・ヴィターレ聖堂』が名高い。地味な外観とは裏腹に内部は豪華絢爛(ごうかけんらん)な装飾に覆われ、目が眩(くら)むほどである。主祭壇壁面上部左右に描かれた「ユスティニアヌス帝と宮廷人」、「テオドラ王妃と随臣・侍女達」の『モザイク画』は当時を代表する傑作。

 

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【トップ写真】古雅楽館では季節の行事も欠かせない。娘達が居なくなった今でもこの時期は「お雛様」を飾る。本来は「七段飾り」だが、しまうのが大変なのでお二人だけの『親王飾り』で我慢。「屏風」も「ぼんぼり」も省略で、センタースピーカーの上という超変則パターン、「お雛様」には申し訳ありません

 

 

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